
「あ、この人は悪魔なんだと理解しました」
何度も自殺を考え、包丁を握り親の背後に立ったこともある。それでも生きる場所はここしかなかった。継母の顔色を窺(うかが)い、気に入られるように振る舞った。それは、生きるための処世術だった。
転機が訪れたのは、高校2年生、16歳の夏だ。遊びに行った新宿二丁目で出会った男性と熱烈な恋に落ちた。小田切は言う。
「ここで初めて自分がゲイだという自覚を得たんです。今はLGBTQ+のQという認識なんですが、このとき初めて人から認められ、求められ、素直に自分をさらけ出せる喜びに『生きている!』と叫び出したいような気持ちでした」
二丁目に入り浸った。彼と暮らし、彼の営む二丁目のバーでバイトをしながら生きていく。そう決意し、継母に高校中退の意思を告げると、意外なほどあっさりと認めてくれた。ただ、通信制の高校に編入して卒業だけはすること、その学費は自分で賄うこと。それが条件だった。

学費を稼ぐためにバーだけでは足りず、美容室でバイトを始めた。それは「美しく装うこと」が得意だったから。志や目標があったわけではなく「得意」で踏み出した一歩だったが、通信制の高校卒業後は通信制の美容学校に入学し、「やるからには」とメイクスクールにも通い始めた。
伊勢丹新宿店で美容部員後 藤原美智子に師事する
常にカツカツの生活だった。バーでごひいきにしてくれるお客に美容師用のハサミを買ってもらったこともある。きれいごとでは生きていけない、そんな経験もたくさんした。精神的にアップダウンを繰り返し、それでもがむしゃらに動き続けるうちに、働いている美容室で指名ナンバーワンのスタイリストになった。そうなると欲が出た。
ヘアだけ完璧でも、メイクが伴わないと思い描くスタイルが完成しない。さらに水商売の女性のヘアセットを作るバイトも始めたことで、もっと自分のセンスを生かせる「作品」が作りたくなった。しかし、あまりにも化粧品の知識が足りない。まずは化粧品会社に入ってコスメを一から学ぼうと、25歳で外資系ブランドの美容部員になる。
(文中敬称略)(文・大道絵里子)
※記事の続きはAERA 2025年4月7日号でご覧いただけます