何かどんづまりまで来てしまったような閉塞感のただなかで、どう変わったらいいのか、われわれの社会はいま途方に暮れている。変わること、本書の著者が使っている言葉を借りれば、われわれの前に立ちはだかる「(不)可能性の臨界」を越えること――今日ほどそれが要請されている時代はないと見えるのに、その具体的な手立ては覚束ない。その理由の一つは、名誉革命やフランス革命のような社会体制の根本的変革を、かつて日本人が内発的・意識的に遂行したためしがないからかもしれない。われわれは「革命」が苦手な民族なのだ。
一見、そう見える、しかし本当にそうか、と大澤真幸は立ち止まって問いを発し直す。外部からの衝撃によってしか変われなかった日本(実際、大化の改新も明治維新もそれでしかなかった)という通念は、再審に付されるべきではないか。なぜなら、ただ一人だけではあるが、日本の歴史には真の「革命家」が出現しているからだ。ただしそれは、後醍醐天皇でも織田信長でも坂本龍馬でもない。
承久の乱で後鳥羽上皇率いる朝廷の軍を討伐し、揺らぎかけた武家政権の権威を再確立した人物、武家社会の慣習や道徳を集成し、後代の日本人の倫理観に大きな影響を与える御成敗式目を制定した人物――鎌倉幕府の第三代執権・北条泰時は、信長や龍馬のように英雄と称えられることのない地味な存在である。だが、そこには「革命的」な何かがたしかにあった。朝廷の軍と正面切って戦い、制圧の後には上皇を流罪の刑に処し天皇を退位させるといった振る舞いで、あからさまに皇室の権威を(なみ)し去ったような政治家が、彼以前にも以後にもいただろうか。外国の法の輸入による継受法(古代の律令も明治以後の近代法もそれである)ではなく、わが国独自に制定した固有法として、日本人の法意識をかくも決定的に基礎づけた法体系が、御成敗式目の以前や以後に存在しただろうか。
北条泰時の残した事蹟を「革命」と捉える視点は、大澤氏の独創ではない。彼自身が認めるように、それはもともと山本七平が提起した命題である。ただ、山本の『日本的革命の哲学――日本人を動かす原理』(1982年初版)は、明恵上人の思想の泰時への影響、御成敗式目の個々の諸条の分析など、興味深い指摘を多々含むものの、副題に含まれる「原理」の抽出という点では甚だ物足りなかったと言わざるをえない。
北条泰時の「革命」がなぜ可能となったのか、ないし日本史の全体を通じてそれが彼によってしか可能でなかったのはいったいなぜなのか。この問いへの答えを抽象的な形式論理として取り出すことがもしできれば、それは、泰時が生きた鎌倉時代とはあらゆるパラメーターを異にする現代日本の状況にも、十分に適用可能なのではあるまいか。本書を貫く問題意識の核心はそこにあり、「革命」の可能性をめぐるこの問いの抽象化と形式化の執拗な追求に、「理論の人」大澤真幸の真骨頂が発揮されることになる。その意味で、三章構成の本書のよぶ知的興趣がもっとも高まるのは、世界史上の「革命の類型学」が素描される「II 東の革命/西の革命」と、「革命」の可能性/不可能性の問題を日本民族が背負った不可解な業(カルマ)とも呼ぶべき天皇制の謎へと収斂させて論じた「III 天皇なき天皇制」であろう。
「革命」が可能となるには、システムに外在する「例外的な一者」が必要だ、と大澤氏は言う。中国の易姓革命の場合であれば「天」、西洋の場合であれば「神」の意思がそれを要求するとき、社会に根本的な変動が起きるのだ。しかし日本の場合、それに当たるべき「天皇(ないし天皇霊)」は、一種の超越者ではありながら、同時にまた共同体に内在する「人間」として存在してもいる。日本に「革命」が起きない理由が恐らくそこにある。一方、北条泰時は、「人間」としての天皇自体を無化しつつ(流罪、退位)、統治装置としての天皇制は温存する(御成敗式目における自生的秩序の尊重)という矛盾した身振りによって、武家政権の自律的主権を根拠づけることに成功した。「例外的な一者」の不在という日本に固有の条件を、いわば否定的に活用し、「天皇なき天皇制」という仕掛けを発明することで成ったものが、彼の「革命」ということになる。
大澤氏の精密な議論を細部にわたって紹介する紙幅はないが、「革命の比較社会学」という総題の下にいま彼が構想中だという壮大な企図へ向けての、最初の里程標が本書である。現今すっかり値下がりしてしまった「革命」概念を、マルクス主義とは無縁の場所で新たに賦活し直そうとする、みずみずしい息吹きの漲る知的冒険の出現を慶びたい。今上天皇が生前退位の意思を表明したこの時期、きわめてアクチュアルな意味をもって読まれうる快著と言える。