本日、11月1日は「古典の日」。古典文学の最高峰と名高い『源氏物語』の存在が確認できる記録が残っていたのが、1008(寛弘5)年11月1日であったことにちなみ、源氏物語千年紀に当たる2008(平成20)年に制定された、比較的新しい記念日です。




 『源氏物語』の作者で知られる紫式部は、一条天皇の皇后・藤原彰子に仕えていた女房でしたが、その日記『紫式部日記』には、1008(寛弘5)年11月1日の宴席で、超エリート貴族・藤原公任(ふじわらのきんとう)が、紫式部を『源氏物語』のヒロイン・若紫(のちの紫上)になぞらえて「このあたりに若紫(=紫式部)はいませんか?」と、声をかけたエピソードが記されています。




 この発言を受けた紫式部のコメントはと言えば、「この世に光源氏のような素晴らしい男性が存在するわけもないのに、ましてや若紫がいるわけないじゃないの~と、シラケた気持ちで聞き流していた」という、冷淡なもの。




 とはいえ、この経緯をちゃっかりと日記に書き留めている紫式部。当代きってのインテリ貴公子であった公任が『源氏物語』に注目してくれていたという事実を、表面では冷静を装いつつも、内心では非常に晴れがましく受け止めていたのではないでしょうか。




 千年の時を超えて、今なお日本人の心を魅了してやまない『源氏物語』ですが、同作を「文学の香りとエロを共存させた希有な大古典」と絶賛するのは、古典エッセイスト・大塚ひかりさん。大塚さんの著書『日本の古典はエロが9割 ちんまん日本文学史』によれば、同作は性愛描写のオンパレード。




 たとえば、物語の冒頭に登場する、主人公・光源氏の生母・桐壺更衣(きりつぼのこうい)。"薄幸の美女"で知られる女性ですが、大塚さんによれば、更衣の命を奪ったのは、天皇の激しい寵愛。セックス三昧の日々を送った結果、病気がちになった更衣は危篤状態になるまで実家に帰らせてもらえず、衰弱し横死してしまったのだと述べています。




 『源氏物語』の知られざる背景をはじめ、古代から近世までの日本文学の中から、教科書が教えない、エログロ満載(?)なエピソードを抽出した同書。秋の夜長、古の平安貴族に思いを馳せつつ、ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか?