明日、七月七日は「七夕」。
先月後半頃から、短冊を掛けた笹の葉を町のあちこちで見かけるようになりました。
織姫と彦星の伝説は、奈良時代に中国から伝わったものです。奈良・平安の王朝貴族達は、この夜、祭壇を作って織姫と彦星に捧げ物をし、和歌や雅楽、蹴鞠などの技芸を手向け、夜がしらじらと明けるまで宴を催したようです。
また、一年に一度だけという男女のせつない逢瀬は、貴族達にとって格好の和歌の題材となり、「万葉集」「古今集」をはじめとする多くの和歌集に、「七夕」を詠んだ歌が幾多も残されています。
貴族達は、織姫、彦星に成り代わって、あるいは自らの恋をこの伝説になぞらえて、恋の歌を詠んだのです。
平安期の七夕の歌を、時の経過を追ってご紹介しながら、そこに見えて来る当時の七夕の姿と、織姫と彦星の心、そして二人がどのようにしてめぐり逢うのかについても、ひもといてゆきます。
秋の訪れとともに出逢いを待ち焦がれる織姫
まずは逢瀬の日が近づくのを感じて、ときめく織姫の心を詠んだ歌です。
「秋風の吹きにし日より久方の天の河原に立たぬ日はなし」(古今集 173番)
(秋の風が感じられた日から、間もなくやってくる逢瀬の日が待ち遠しい織姫は、毎日天の川のほとりに立っている)
新暦を生きる私たちにとって、「七夕」と言えば夏の行事。
しかし旧暦を生きた王朝の人々にとって、七月から九月は秋の季節です。秋の涼やかな風を感じたら、もうすぐ七夕!だったのです。
現在のように、梅雨空や蒸し暑さに悩まされる事はありません。彼らは、秋の涼しく澄んだ空をゆっくりと眺めたのでしょう。
「織女(たなばた)はあさひく糸の乱れつつとくとやけふの暮を待つらん」(後拾遺集 240番)
(織姫が朝引いた(麻の)糸が心のように乱れている。そのもつれた糸を解きながら、一刻も早くと、今日が暮れるのを待っている)
「朝」に「麻」、「疾く」に「解く」をかけて、二重の意味が汲み取れる、技巧を凝らした歌です。七日の朝、心乱れて機を織る手もおろそかになる織姫の姿を表わしています。
ちなみに七夕は元来、機織(はたおり)の神である織姫にちなみ、裁縫の上達を祈る日だったそうです。
彦星はどうやって織姫に逢いに行く?和歌に詠まれた「天の川を渡る方法」とは?
いよいよ夕暮れとなり、逢瀬の時がやって来ます。
「久方の天の河原のわたしもり君わたりなば楫かくしてよ」(古今集 174番)
(天の川の河原にいる渡し守よ、彦星が川を渡ったら今度は帰れなくなるように船の楫を隠しておくれ)
織姫に成り代わっての歌です。彦星は船に乗って天の川を渡ります。
また、この歌では「船」につきものの「楫」が詠み込まれているのがミソ。「かじ」は読み手に「梶の葉」を想起させています。
梶の葉は当時の七夕の祭壇に欠かせないものでした。飾りとしてだけでなく、直接和歌や願い事が葉の上に書きつけられたそうです。現在、七夕を象徴する笹の葉の飾りは、実は江戸時代から始まったものなのだそうです。
さて、他にはこんな渡り方も…。
「天の川もみぢを橋に渡せばやたなばたづめの秋をしも待つ」(古今集 175番)
(天の川に紅葉の橋が渡されるからだろうか。織姫が秋の季節を待っているのは)
前述した通り、七夕の季節は秋。色づいた紅葉が橋となって天の川に架かるのだそうです。
また、同じ橋でもこのようなものも。
「いかなれば途絶え初めけむ天の川逢ふ瀬に渡すかささぎの橋」(詞花集 87番)
(どうして七夕の夜以外は途絶えてしまったのだろう。天の川に渡されたかささぎの橋は)
つまり、七夕の夜だけは、天の川にカササギの橋が渡る、という歌。
「カササギ」とは、「カチドリ」ともいう白黒の羽を持つ鳥です。この鳥が羽根を広げて連なり、天の川に橋を架けると言うのです。
また、船にも乗らず、橋など渡らず、
「天の川瀬々の白波高けれどただ渡り来ぬ待つに苦しみ」(後撰集 25番)
(天の川の瀬の波は高いけれど、待つことの方が苦しいのでひたすら渡って来ました)
と、浅瀬を踏み分けて天の川を渡る彦星の姿も詠まれています。
ちょっとだけアクティブな彦星。しかしさすがに川に飛び込み泳いで渡る…と詠んだ歌は見あたりませんでした。平安貴族男子はやはり草食系だったのかもしれません!?
いよいよ出逢えた二つの星。しかし、別れの時はすぐにやって来ます
さて、いよいよ川を渡ってめぐり逢う二人。喜びと同時に別れの予感も…。
「恋ひ恋ひてあふ夜はこよひ天の川霧立ちわたりあけずもあらなん」(古今集 176番)
(恋し続けて今宵やっと逢う事が出来ます。天の川よ、川霧の戸を立てて夜が明けないようにしておくれ)
「契りけむ心ぞつらきたなばたの年にひとたび逢ふは逢ふかは」(古今集 178番)
(一年に一度という約束は無常な事だ。このはかない逢瀬は逢瀬のうちに入るだろうか)
そして別れの時がやって来ます。
「七日の夜のあかつきに詠める」という詞書(説明書き)があって、
「今はとて別るるときは天の川渡らぬさきに袖ぞひちぬる」(古今集 182番)
(今年はこれ限りと別れる時には、天の川を渡る前から彦星の袖は涙で濡れている)
「八日の日詠める」の詞書があって、
「今日よりはいま来む年の昨日をぞいつしかとのみ待ちわたるべき」(古今集 183番)
(今日からは来年の昨日(七日)を、早く来ないかと待ちつづけるほか無いのでしょうね)
こうして二人は、別れの翌日から、また来年の出逢いを待ち焦がれるのです。
千年の時代を隔てても変わらぬ二つの星に寄せる思い
さて、ご紹介した何首かの和歌を見てゆくだけでも、王朝の七夕の宴と、現在私達が行っている七夕祭りとは、随分と様相を違えている事が分かります。
しかし、和歌を読んでゆけば、誰もが織姫と彦星に共感を抱き、少なからずしみじみとした心地になるのではないでしょうか。
七夕の夜、二つの星に寄せる思いは、王朝の昔も今も変わらない筈です。