姜尚中(カン・サンジュン)/東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史
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 政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。

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韓国の作家、ハン・ガンさんがノーベル文学賞を、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)がノーベル平和賞を受賞しました。二つの隣国で受賞が重なったことは単なる偶然かもしれませんが、ガザやウクライナに見られるような暴力によるトラウマと痛みを抱えた人々に寄り添おうとする狙いがあるように思えてなりません。

 ハン・ガンさんには、正規軍が市民に銃口を向けた光州事件や朝鮮半島の南側の単独選挙に住民が抗った済州島四・三事件などを題材にした作品があります。詩と散文の織りなす繊細な筆致で戦争や暴力による死と生の極限的な有り様を描写しつつ、人間存在の可能性を追求しようとする文学の営みは、暴力がはびこる暗黒のような世界を照らす一条の光のようです。これは私の独断かもしれませんが、ハン・ガンさんには韓国のシャーマニズムの伝統に連なる「ムーダン(巫堂)」のような存在感を感じます。作家という現代のシャーマンが、黄泉の世界の住民の叫びと呟きを文学的に昇華して私たちに届けてくれているようです。

 20世紀の暴力といえば、アウシュビッツと広島・長崎でしたが、もう一つ忘れられてはならないのは、軍にまつわる暴力の記憶です。世界中にばらまかれた「汎(はん)暴力主義」を、犠牲者や残されたものたちの痛みを通じて可視化させたところにハン・ガンさんの功績があります。

 一方で被団協は、被爆者の立場から核兵器廃絶を訴えてきた活動が認められました。暴力の極致が核であるとすれば、その犠牲者の記憶と痛みを報復ではなく、核廃絶への希望によって訴えてきた被団協の営みは、核の使用がリアリティーを帯びつつある現代の危機に抗う最も人間的なメッセージです。

 二つの受賞に共通しているのは、私たちは汎暴力主義の時代を生きていて、それを直視しなければならないということです。暴力を告発し正義を振りかざすだけでなく、暴力の記憶とその痕跡をいかに癒やすことができるのかが、日韓両国民の共通テーマになったのではないでしょうか。来年は朝鮮戦争75年、日韓条約60年です。この二つの受賞が、歴史的な転換の先駆けになってほしいと願っています。

AERA 2024年10月28日号