『Jeff Beck : Crazy Fingers』By Annette Carson
『Jeff Beck : Crazy Fingers』By Annette Carson

『ジェフ・ベック:クレイジー・フィンガーズ』アネット・カーソン著

●第5章 シクスティーズ・サイケデリアより

 1966年5月、レコーディング・セッションが、急遽セッティングされ、パーソネルが顔を揃えた。それは、ギブソンのレスポールによるリード・ギターがジェフ・ベック、12弦のエレクトリック・ギターがジミー・ペイジ、ベースとピアノはそれぞれ、セッション・プレイヤーとして定評のあるジョン・ポール・ジョーンズとニッキー・ホプキンス、そして、ドラムスがザ・フーのキース・ムーンという驚くべきラインアップだった。

 ベックは、キース・ムーンがこのグループのキーパーソンと考えていた。彼は、ムーンのきわめてワイルドな性格とドラム・サウンドを、心から愛していた。  
「俺は当時、ザ・フーをいけ好かない奴らだと思っていた。連中がなかなか、“俺のドラマー”を手放そうとしないから、イラついていたんだ! 俺は一度、キースとレコーディングしようと思った。で、俺たちが彼に電話をした」

 レコーディングは当初、サイモン・ネイピア・ベルがプロデュースを行うことになっていた。その時期、ヤードバーズのメンバーは、ソロ・プロジェクトを試みていた。だが、ネイピア・ベルが、彼らにプロデュースを委ねて姿を見せなくなり、ジミー・ペイジがプロデューサーの椅子に座ることとなった。
 このラインアップは実際、かなり多くのレコーディングに取り組んだが、リリースされたのは、画期的な1曲、《ベックス・ボレロ》のみだった。

「セッションは10時から始まり、12時までに終わった」とベックが言う。「俺は、そのレコーディングがバンドの結成に繋がるのを、この目で見たかった。だがキースは、ザ・フーのメンバーで、あきらかにバンドには加われなかった。彼は、ザ・フーから抜けるつもりでいると俺たちに思いこませたが、おそらく、連中に気をもませようとしただけだった。
「ムーンは当時、ザ・フーにこっぴどく腹を立てていたが、それでも、誰にも気づかれないように、サングラスで顔を隠して、スタジオに入る羽目になった。彼は、黒いサングラスをかけ、おまけにロシアのコサック帽をかぶって、IBCスタジオでタクシーを降りた。だから、彼が他のセッションで暴れているとは、誰も思わなかった。
「ムーニーはセッションの最中に、ドラムス用にセットされたスタジオのマイクを、スティックで叩き壊したんだ。《ボレロ》の演奏が、半ばを過ぎたあたりで、彼は絶叫し、250ドルのマイクをぶち壊した。《ボレロ》が途中から、シンバルの音しか聞こえないのは、そういうわけだ。
「もしムーニーが、バンドに加われていれば、それが、レッド・ツェッペリンになったんだろうと、俺は確信している。だが、実現しなかった」

 実際にレコーディングに予定されていたラインアップは、より興味をそそるものだったかもしれない。ザ・フーのベーシスト、ジョン・エントウィッスルもまた、キース・ムーンと同じように、バンドに不満をもち、そのセッションに参加することになっていた。だがエントウィッスルが、スタジオに来られなくなり、ジョン・ポール・ジョーンズが、代わりに起用された。

「それがおそらく、レッド・ツェッペリンの原形だ。音楽性や方向性が、まったく同じだった。ペイジと俺は、ムーンやエントウィッスルと、グループを組みたいと思った。それに、ペイジとザ・フーの二人は、バンドを作って、レッド・ツェッペリンと名付けるつもりでいたんだ。
「俺は、ヤードバーズとは別に、《ボレロ》をシングルとしてリリースしたかった。とにかく俺たちは、そのトラックを封印した。ようやく日の目を見たのは、俺がバンドを去った後だった」
《ベックス・ボレロ》は1967年に、彼のソロ・デビュー・シングル《ハイ・ホー・シルヴァー・ライニング》のB面に収録される。

 ベックが、セッションに至る経緯を明らかにしている。
「俺たちは密かに、キース・ムーンとセッションする手はずを整えた。どんなものになるのか、ちょっと試してみたかったんだ。だが、スタジオで演奏する曲を用意する必要があった。つまり、キースがスタジオにいられる時間は、ごく限られていたんだ。実際、ローディーが彼を探しはじめるまでの、3時間程度しかなかった。
「そこで俺は、セッションの何日か前に、ジムの家に出かけた。すると彼が、12弦のフェンダー・エレクトリックをかき鳴らしていた。凄いサウンドだった。その12弦のサウンドから、あのメロディーが閃いたんだ。
「彼が、あの曲を書いたと雑誌や何かで言っているが、冗談じゃないぜ。あまりにもばかばかしくて吹き出しそうになる。それに、彼がどう言おうと構わないが、あのメロディーは、俺が思いついたんだ。大したものじゃないが。つまり、そういうことだ。
「彼は、ああいうAmaj7やEm7のコードを思いついた。で、俺がそれに、演奏をかぶせた。俺たちは、スタジオでそれを試し、ムーニーにボレロのリズムを刻ませることで、意見が一致した。あの曲は、そうして生まれたんだ。
「俺たちは、彼の家の居間に腰を落ち着けた。彼が、椅子の肘掛けに座り、例のラヴェルのリズムを弾きはじめた。で、俺がメロディーを演奏した。俺はその後、家に帰り、他の(アップ・テンポの)ビートを練り上げたのさ」

 ジミー・ペイジも同様に、《ベックス・ボレロ》を作曲したと主張し、レコードには実際、彼の名がクレジットされている。だが、現実的に捉えれば、それはあきらかに、コラボレーションだった。
 

『Jeff Beck : Crazy Fingers』By Annette Carson
訳:中山啓子
[次回6/6(月)更新予定]