出版社は、不快だと思う人に留意し、首から下を隠すよう白いカバーをかけたのだが、それでもまだこの雑誌を店頭に置くのを拒否する店があった。お高くとまっているやりづらい人のような書かれ方をした中面のインタビュー記事も、ムーアにとっては助けになっていない。
実は、ムーアにとって初めての仕事は、日本に向けたヌード写真の撮影だ。高校を中退し、依存症で毒親の母と離れて暮らしていたムーアは、「アメリカ人の目に留まることはないから」と言われて、その仕事を受けることにした。そこからモデルへの道が開け、女優業につながっていった。つまり10代のときから彼女はカメラの前で脱いできたのである。
美しい体を維持することにプレッシャー
その裏で、美しい体でいなければならないというプレッシャーは、彼女を精神的にも、肉体的にも苦しめていた。苦悩の始まりは、セックスシーンのある『きのうの夜は…』(1986)への出演。
エドワード・ズウィック監督に、「君を雇いたいけれども、痩せると約束してくれるか」と言われたのだ。そこから摂食障害を抱えるようになり、自分の体重、サイズ、外見でしか自分の価値を判断できなくなったと、ムーアは回顧録で告白している。
逆に、『幸福の条件』のエイドリアン・ライン監督からは、痩せすぎだと文句を言われた。女性らしいソフトな体を望んでいたラインは太るように命じたのだが、絶対に嫌なムーアは断固として拒否。結局ラインが折れた。
影響は、自分だけでなく赤ちゃんにも出ている。次女の出産直後に『ア・フュー・グッドメン』(1992)の撮影が始まるため、ムーアは妊娠中も体型を保とうと、パーソナルトレーナーを住み込みで雇ってワークアウトを続けた。そんな中で生まれた次女は、生後、なぜかなかなか成長せず、ムーアを不安にさせる。過剰なワークアウトのよって母乳に変化が生じたせいだと理解すると、母として心を痛めたが、それでも激しい運動をやめることはできなかった。