Zeebra:レッスン中はずっと音楽がかかっているだろうしね。通っていたのは年代で言うといつくらいの話?

松下:1998年とか2000年代の頭くらいですかね。当時、TLCとかローリン・ヒルとか、そういったR&Bがかかっていました。ただ、日本のヒップホップというのは詳しくなかったというか、正直どこに存在しているのかも知らなくて。

Zeebra:広く世間一般的にはそういう時期だね。

松下:とりあえず片っ端からアメリカのヒップホップを聞きあさっていきました(笑)。その中で、突如現れたのがZeebraさんだったんです。

Zeebra:おお(笑)。

松下:僕、兄がいるんですけど、「これ聴いた方がいいよ」ってZeebraさんのCDを貸してくれて。そこでもう本当に衝撃を受けまして、そこから僕のヒップホップのリスナーとしての歴史が始まりました。

Zeebra:まさか松下くんとそんな“つながり”があるなんてね。うれしいね。

松下:今でも僕がやっている音楽の根底には、ヒップホップとかR&Bがずっと流れていて。だから今回は、僕の音楽が始まったきっかけをくれた方との対談なんです。

Zeebra:恐れ多いけどね(笑)。何でも聞いてください。

松下:音楽との出会いはいつからですか?

Zeebra:幼稚園のころからの大親友がいてね。小学校時代のある日、そいつの家に遊びに行ったら、今からピアノの先生が来るから解散だって言われて。「ピアノ習ってんの? どんな感じ?」って興味が湧いたんだよね。俺もピアノやってみたいって、2年くらい習ったのかな。でも全然だめだった。言い出しっぺだったから辞めるとも言えず、でもすげえ嫌で(笑)。

松下:はははは(笑)。

Zeebra:でも音楽自体には興味があったんだろうね。あまり記憶はないんだけど、ウクレレ持ってテーブルに飛び乗って誰かの歌の真似をしたりとかしていたみたい。

松下:誰の真似だろう?(笑)。当時、流行っていた音楽はどんなものだったんですか?

Zeebra:歌謡曲とかチェックするようになったのは小学3年生くらいになってからかな。俺たちの世代だと、トシちゃんとか聖子ちゃんとか。で、だんだん洋楽が流行り始めるんだよ。

(構成/編集部・秦 正理)

AERA 2024年9月16日号

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秦正理

秦正理

ニュース週刊誌「AERA」記者。増刊「甲子園」の編集を週刊朝日時代から長年担当中。高校野球、バスケットボール、五輪など、スポーツを中心に増刊の編集にも携わっています。

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