東浩紀/批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役
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 批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。

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「エモい記事」が話題だ。発端は社会学者の西田亮介氏が朝日新聞デジタルに寄せた連載記事。最近の新聞は調査やデータに基づかない感傷的な「エピソード記事」が目立つ。数字は取れるかもしれないが、それでいいのかと問題提起するものだった。

 西田氏の寄稿は3月末。それがここにきて話題になっているのは、「プレジデント」9月13日号が西田氏と批評家の大澤聡氏の対談を掲載し、問題をメディアのありかたにまで広げたからだ。実は元の寄稿には新聞関係者による「反論」も寄せられた。それも議論再燃の一因になっている。

 筆者の印象でも確かに最近の新聞サイトは変質している。トップページにはアクセスランキングが躍り、著名人のコメントが並ぶ。見出しも扇情的になっている。個人的には辟易することも多い。

 ただそれを単純に書き手のせいにもできない。紙とネットは本質的に異なる媒体だ。かつて新聞は政治面や社会面や文化面の豊かな複合体だった。分厚い朝刊を手に取らせればマイナーな記事も読んでもらえた。そんな余裕を逆手にとって複雑な問題提起もできた。

 ネットではそんなことは不可能だ。ネットではユーザーは読みたいものしか読まない。アクセスされない記事は無だ。トップに掲載可能な記事は限られているし、スマホとなれば競争はますます激しい。アクセス数を稼ぐ記事が増えるのは媒体特性から来る必然でもある。

 だからこの問題は解決が難しい。紙の新聞が消えゆくのはまちがいない。東京新聞は23区以外の夕刊配送を8月末で終了した。毎日新聞は富山県内の配送を9月末で休止する。今後似た決断を下す新聞社は増えるだろう。報道の場はネットに移らざるをえない。

 重要なのは、そんな新しい環境でかつての紙の新聞がもっていた豊かさをどう維持するかなのだ。「エモい記事」は存在してもいいが、堅実な調査やデータ分析と並んでいなくては意味がない。新聞社はその混合に知恵を絞るべきだ。ネットの特性に振り回され、ページビューだけを追い求めたのでは新聞の歴史は失われてしまう。

AERA 2024年9月16日号

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東浩紀

東浩紀

東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数

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