ソメイヨシノのつぼみも膨らみ、いよいよ春本番の幕開けとなる春分です。3月20日からその初候「雀始巣(すずめはじめてすくう)」となります。文字通り、この時期雀たちは冬の集団営巣を解いてつがいとなり、人家の屋根などに巣を作って子育ての期間に入ります。いつも私たちの身近にいてもっとも親しまれ、ありふれた野鳥であるスズメ。なのに、人間に対する警戒心は相当なもの。離れた距離でもさっと逃げてしまいます。特段いじめられてるわけでもなさそうなのに・・・実はこれにはわけがあるみたいです。
この記事の写真をすべて見る害鳥? 益鳥? 功罪相半ば、隣のスウィート・デビル
人間の作り出す二次的自然環境・田畑や緑地公園、屋敷林などに適応している生き物は結構多いもの。スズメはその典型的な種。ドラマや漫画では、「チュンチュン・・・」というスズメの鳴き声で朝を表現するのは当たり前の符丁として通用するほど、私たちの身近にいつもスズメはいますよね。スズメは人間のそばで暮らすのが大好き。人がいない場所にはスズメもほとんどいないといわれています。でもそのくせ警戒心強すぎ。野鳥の中でも、かなり人間に対しては常にピリピリしている部類です。何でしょうかこのツンツンキャラは。
でも、人間になれないわけではなく、非常に頭がよいので飼いならせばよく慣れるといわれます。
江戸時代、町民はよく野鳥を飼いならしペットとしましたが、メジロやウグイスなどと比べてスズメはいまひとつ人気がなかったようで、それは砂あびが大好きで散らかすことや、飛翔力が強く檻に激突して怪我をすることが多い、と言う理由に加えて、大食漢で給餌が大変、ということもあったようです。
野生のスズメももちろん同様で、健啖家。雑食性ですが特に雛に与えるのは高栄養の昆虫や小動物がほとんどで、春から夏にかけてはスズメは多くの害虫駆除を行なっていることになります。田畑の害虫や、あるいは田に生える雑草の種ををさかんについばんでくれる益鳥なのですね。
ところが。これが稲穂が実る秋には一転、実った稲穂も食べてしまう害鳥に。数が多く動きがすばやく大食らいのスズメは、さぞかし憎たらしい悪魔のような存在と映ったでしょう。スズメの身になってみれば、自分たちの働きで実った作物のおこぼれをいただくのは当然だと思うのですが、農家にとっては知ったことではありません、網をかけて一網打尽にしました。
こうして捕られたスズメを丸ごと串焼きにしたのが「焼き鳥」のはじまりです。安価なニワトリが流通するようになる昭和の時代まで、焼き鳥といえば主にスズメでした。スズメは何百年にもわたり、さかんに捕らえられ、人間たちの餌食となっていたのです。そりゃ、警戒して逃げますよね。
今でも食べられているスズメの丸焼き
家畜食が禁じられ、また獣の肉も公然では禁じられていた日本では肉といえば鳥、それも雉や鴨などの野鳥などのジビエ食でした。江戸時代の料理本には焼鳥に適した鳥として、カモ類、うずら、ひばり、小鳥類、雉子、山鳥、、ひよ鳥、つぐみ、鷺類、鳩、けり、鷭(ばん)、と、適したも何もなく(笑)、あらゆる野鳥が食べられていました。
当然スズメは何のためらいもなく食べられていたわけです。江戸時代は、戦争がなくなり生活が安定して、田んぼも増えていく時代です。初期の1600年頃に2000万石、100年後には3000万石、幕末ごろには4000万石ほどで、実際にはそれより多くの米が生産されていたとも言われます。当然それをちょろまかすスズメたちもそれに応じて生息数を増やし、その分焼き鳥にされるスズメたちも多くなったはず。
当時は主に神社の参道に屋台が出され、焼鳥が売られていました。その習慣は明治に入ってからも続き、特に京都の伏見稲荷や東京雑司ヶ谷の鬼子母神の参道は、有名でした。
明治期から昭和にかけて活躍した劇作家・若月紫蘭が著した「東京年中行事」( 1911年)の「雑司ヶ谷鬼子母神会式」の項には「このお祭の名物というのは、平生からも名物である小鳥の雀焼の外には、里芋の田楽、紙製の蝶、萱の穂製の梟などがそれで、何ずれも境内に至るまでの長い道の両側で盛んに客を呼んでいる」とあって、雑司が谷鬼子母神の境内には、戦前には10軒以上の雀焼きの店があったそうです。
今では雑司が谷の雀焼きは途絶してしまいましたが、京都の伏見稲荷には今でも細々とながら続いている店が二軒残っています。
伏見稲荷大社といえば全国3000の稲荷神社の総本社であり、外国人にも千本鳥居が受けて今や一番の人気観光スポット。スズメの丸焼きが名物なのは、「五穀豊穣の神を祀る伏見稲荷において穀物を食い荒らす雀退治が起源」とされています。しかしこの「五穀豊穣を祈る」というのはしばしばありがちのことですが、もちろん後からのこじつけ。もしそういうことならば、多くの稲荷神社で雀焼きが提供されていなければなりません。実際には「焼き鳥がおいしいから」ということなのでしょう。
ともあれ、伏見稲荷の雀焼きも、スズメ猟をする猟師の高齢化やかすみ網の禁止によるスズメの捕獲量の減少、一時期出回った中国産のスズメに切り替えたものが、その後入荷不可能となってしまったこと、また「スズメを食べるなんて」という愛鳥意識の広がりなどで衰退傾向にあるそう。
ちなみに「スズメ焼き」というと、スズメを焼いたものだ、いや小魚だ、ひよこだ!!と時々論争になっているようです。実はこれらはどれも実在していてどれも正解。このような文字通りスズメを焼いたものと、小魚を串刺しにして焼いたものがあります。小鮒の頭の佃煮を串に3~5個刺して焼いたもので、これもかつては日本全国で作られていましたが、今では千葉県香取と茨城県潮来の水郷地帯や新潟県の一部の名物になってしまいました。筆者は未見ですが、ニワトリの死んだ雛のひよこを丸焼きにした「雀焼き」もあったそうです。「カラーヒヨコ」などが縁日で売られていた頃の話でしょうか。
スズメの数は減っている?
ところでスズメが近年減少している、という話を近頃よく聞きませんか?実際地域によっては「ぜんぜんスズメを見かけない」なんていう報告もあるようです。約五年ほど前に北海道教育大学の三上修准教授がスズメの生息数の調査を大々的に行い、全国には数千万羽のスズメがおり、これは1990年当時の半分程度、もしくは減少率を高く見積もると20%程度、つまり1/5になっているかもしれない、と述べています。
これは機密性の高い住宅が増えて、かつてのようにあちこちに巣を作る隙間がなくなってしまったこと、田畑の減少やそれにともなう餌の減少、カラスの増加によって餌食になる雛が増えたこと、などの複合的な原因があるそうですが、全容の解明にはいたっていないといいます。
といってもまだまだ多くの地域ではスズメはちゅんちゅんさえずっていますよね。
これからの時期は時候どおりスズメの子育ての季節。子育てのための巣は屋根瓦の下、軒のすき間、橋げたや駐車場の裏側のくぼみなどはもちろん、大きな広告看板のポールの中、材木や石垣、他の野鳥の古巣や放置された粗大ゴミまで、あらゆるところに作られます。巣作りの道具は藁や小枝で土台を作った後は比較的やわらかく細い素材で寝床を作っていきます。
一度の子育ての期間は約二週間ほどで、繁殖期の期間中、つがいによっては二度、三度と子育てをするようです。巣立ちをした幼鳥はその後はしばらく親鳥と行動を共にします。
スズメの幼鳥は耳羽(ほっぺたあたりの黒い部分)の黒が淡いこと、全体の茶色や白も少し薄めに見えるので見分けがつきます。子育てで飛び回ってやせてしまった親鳥が、丸々と太った子スズメに口移しで餌をやっている姿は、ユーモラスでもありかわいらしくもあります。少し注意していると、きっと見られることでしょう。
あ、でもスズメ猟の猟師に巣立ったばかりの若鳥たちがねらわれてしまうんでしょうか。安心してください。スズメの猟期は秋から冬にかけてで、三月からは禁猟期。その期間は、少なくとも人間に狩られることはありません。
スズメの寿命ってどのくらいなのかな、と思い調べてみると、野生状態では大半が一年くらいで死んでしまうそうです。元気いっぱいで強いように見えるスズメも、実は人間と比べればずっと弱い生き物。減少の原因がつきとめられて、ツンツンしたあいつらが、いつまでも変わらずチュンチュンさえずっていてほしいですね。
参照文献・スズメの謎: 身近な野鳥が減っている!? 三上 修