姜尚中(カン・サンジュン)/東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史
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 政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。

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 星条旗を背景に血を流しながらも拳をつき上げるトランプ氏の姿を見て、第2次世界大戦中の硫黄島で星条旗を掲げる米兵や、フランス7月革命の自由の女神を描いたドラクロワの名画と重ねた人も多かったようです。僅かに顔を傾けた瞬間に逸れた銃弾、この何十年間で最もシンボリックな写真。これを見て、トランプ氏には神のご加護があり米国のミッションを背負うべき人、と宗教的オーラを感じた人が一定数いたのではないかと思います。

 少し驚いたのは、副大統領候補に39歳のバンス上院議員を指名したことです。バンス氏は白人貧困層を描いた『ヒルビリー・エレジー』で一躍ベストセラー作家に躍り出ましたが、現在はトランプ氏の「クローン」と言われています。今回の事件があったから、必ず勝てると踏んで、土壇場でバンス氏を副大統領候補に選んだのか、あるいはもっと前から選んでいたのか、気になるところです。

 また、熱烈な米国の福音派の人たちがより強くトランプ氏を押し出す可能性があります。O・A・ウェスタッドの名著『冷戦』によれば、米ロの共通点として、ロシア正教とキリスト教の福音派は、ヨーロッパにおけるカトリシズムやプロテスタントと違い、原罪の意識が希薄で、むしろ政治的なミッションが強く表れる傾向があるようです。この二つの大陸国家は、ロシア革命以降、敵対的な関係が続きましたが、ある意味では似たもの同士と言えそうです。今回のトランプ氏と福音派もそうですが、プーチン氏もロシア正教との関係は不可分です。

 こうして見てくると、トランプ氏とプーチン氏の関係はかなり修復していくと見た方がいいのではないかと思います。これによって米国が向き合うべきライバルはロシアではなくて中国となり、中国シフトが強化され、米中の緊張関係が高まりそうです。また、NATOも、トランプ氏の米国を見据え、今後かなり変わっていく可能性がありそうです。トランプ大統領誕生に備えて、EUを中心とするNATOは独自の動きを用意しているのではないでしょうか。世界のあちこちで国際秩序の「大転換」、「トランプフォーメーション」が始まりそうです。

AERA 2024年7月29日号