駆逐艦21隻と約40隻の水雷艇は、死体に群がるピラニアのように三方から敵艦に殺到した。そして敵艦に200mから500mまで肉薄し、次々と魚雷を撃ち込んだ。ロシア艦も一斉に砲門を開いたが、夜の海を走り回る小型艦艇にはなかなか命中しない。この夜襲で戦艦「ナワリン」が沈没し、戦艦「シソイ・ウェリキー」と装甲巡洋艦「ナヒモフ」、「ウラジミール・モノマフ」は大破して漂流していた。他の残存艦は戦う気力が失せ、夜の海を北に向かって一目散に逃げ出していた。午前零時前、夜襲隊は攻撃を中止し、翌朝の集結地点・鬱陵島に向けて戦場を後にした。日本側の損害は水雷艇3隻の沈没のみだった。
ロジェストヴェンスキー中将からようやく指揮権を引き継いだ第三太平洋艦隊司令官のネボガトフ少将は、残存艦をまとめて深夜の日本海を北上した。この時ネボガトフ少将の乗る戦艦「ニコライ1世」に続航していたのは戦艦「アリヨール」と装甲海防艦「セニャーウィン」「アブラクシン」、二等巡洋艦「イズムルード」のわずか4艦だけだった。
夜が明けた二十八日午前5時ごろ、東郷司令長官率いる第一、第二戦隊は鬱陵島南西約30カイリに達していた。そこに第五戦隊から「敵艦隊発見!」の無電が入った。第一、第二戦隊は全速力で情報地点に急行した。第四戦隊と第六戦隊も無電をキャッチして全速前進で突進した。午前9時30分ごろ第一、第二戦隊は敵影を発見、ロシアの5艦の包囲態勢を作り、「三笠」が10時半過ぎに距離7000mで砲撃を開始した。他の艦も砲門を開き、ロシア側も「アリヨール」が応戦を開始した。その直後だった、ネボガトフ少将座乗の「ニコライ1世」が突然、軍艦旗と将旗を降ろし、「我、降伏す」の万国信号旗を掲げたのだ。そして僚艦にも「優勢なる敵艦隊に包囲された今、わが艦隊は降伏す」と信号を送った。