取材でも撮影でもこちらの求めるものを瞬時に理解し、提示してくれる人だと感じた。監督もする若葉には常にカメラの前と後ろの視点があり、さまざまなものが「見えている」ようだ(撮影/植田真紗美)

退路を断って挑んだ殺人犯役のオーディション

 ナイフのように尖(とが)る若葉を家族は大衆演劇に誘わなくなった。それでも高校生の自分が食べていく手段は俳優しかなかった。アルバイト感覚で俳優を続け、高校卒業後は俳優以外の仕事もやった。解体業に引っ越し作業員、昼はイタリアンと蕎麦(そば)屋の厨房(ちゅうぼう)をかけもちし、夜はショーパブのボーイをした。ドラマで話題になった当時を知る同僚に「落ちぶれたね」と言われても、怒りは湧かなかった。20歳で自主製作映画を撮り始め映画祭に出品もした。それでも俳優をやめなかった。吹っ切れなかった要因は三つある。

「地元の友達が『お前の場所はここじゃないんじゃねえか』と言い続けてくれたこと。悶々としてた時期に廣木監督から電話があって『お前、やめんの? オレはやめないほうがいいと思うぞ』と言ってもらったこと。そして母親が『役者の竜也をみたいと思っているんだよね』と言ってくれていたこと。それにいま振り返ると本質的には映画をやりたかったのかなとも思います。心の奥底では映画に対する渇望があったのかもしれない」

 そんななかで若葉は「葛城事件」のオーディションを知った。実事件を連想させるような無差別殺人犯役。とてつもない難易度を要求される役だ。震えが走ると同時に支配的な父のもとで抑圧され暴走する稔に、どこか自分を重ねていた。

「変な話、稔に同情してしまう部分があったんです。怒りとか殺気とか、何をやっても虚無な感覚とか。一番近くで、彼をみている気がした」

 これがダメだったらもう潮時だ。俳優を辞めよう。退路を断ってオーディションに挑んだ。

 監督の赤堀雅秋(52)は会場に現れた若葉を鮮烈に記憶している。役を自身でイメージしたのだろう、ヨレヨレのTシャツに薄汚れたスウェット姿、便所サンダルをつっかけた彼からは、ただならぬ殺気が漂っていた。

「会場に現れたときから役になりきっていて『この役は絶対にオレが獲(と)ってやる!』という執念みたいな狂気のような感情がダダ漏れていた。『いた! この人でいこう!』とすぐ思いました」

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