姜尚中(カン・サンジュン)/東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史
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 政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。

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 イランによるイスラエル本土への攻撃は、中東こそが最大の地政学的リスクの地域だということを改めて知らしめました。ただ、イランの攻撃は抑制的で計算されており、これ以上、エスカレーションさせないというイラン側の意図を伝えると同時に、イスラエル本土を狙うというシンボリックな意味を込めた作戦でした。

 米国や英国の介入やイスラエルの鉄壁の防空システムもあり、わずかな被害しかもたらさなかったようですが、イランへの報復を主張する強硬派の発言力は侮れません。ネタニヤフ政権とこれ以上のエスカレーションは望んでいないバイデン政権との間に隙間風が吹き、米国の威信が問われる局面です。

 ロシアvs.ウクライナあるいはNATO(北大西洋条約機構)であれば、相手の行動をある程度正確に読み取り、戦略的に偶発的な暴走を抑えられるかもしれません。しかし、中東は第1次世界大戦の発火点となったバルカン半島や東欧に似て、民族と宗派がモザイク模様をなし、中小規模の国家が併立し、同時に非国家的な集団が暗躍する地域です。言い換えれば、中東では大国が対称的な関係で対峙し合う冷戦型のパワーバランスが成り立ちえない構造で、それは大国のグリップが利かず、計算違いから紛争がエスカレートしかねません。相手の意図が読めないまま、紛争が世界大の戦争へとつながる可能性があり、それは第1次世界大戦の勃発に似た状況と言えます。

 今後、イスラエルがイラン本土を狙った報復に走れば、イランの核関連施設の破壊に打って出る可能性も否定できません。たとえ、一時的にイスラエルが報復を抑制しても、イランがNPT(核拡散防止条約)から離脱し、核兵器開発へと突き進むことになれば、イスラエルはイランの核施設を破壊しようとするはずで、それは中東全域を巻き込んだ戦争になり、米国の軍事介入とそれに対する反発で、もはや抑制の利かない大規模な戦争へと拡大するでしょう。

 中国を仮想敵国とする日米の一体的な軍事戦略を謳って凱旋将軍のように帰国した岸田首相の得意満面の日米蜜月が霞んでしまうほど、中東の地政学的リスクは高まりつつあります。

AERA 2024年4月29日-5月6日合併号