pecoさんの日々の出来事について綴る連載「pecoの子育て&お仕事日記」。今回のお話は、前回の「私のお母さん」に続き、「私のお父さん」について。
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私のお父さんは亭主関白で「THE 昭和」という感じでした。見た目が怖くて、スキンヘッドにヒゲを生やして、レザージャケットにデニムをいつも履いていました。
お父さんは営業の仕事が多く、いつも忙しそうでした。単身赴任で月に1、2回しか帰ってこない時期もありました。家に帰ってくるときは、家の中がピリッとした感じになって、家族全員で出迎えていました。
お母さんは専業主婦で、お父さんの身の回りのお世話をしていました。お父さんが歯磨きをするときは、歯磨き粉をお母さんがつけていました。お父さんがその日に着る洋服もお母さんが出して、お父さんが仕事に行くときは、その何分か前にお母さんが車のエンジンをつけてすぐに走れるようにしていました。
怒ったら怖いですが、私は怒られませんでした。というのも、私は3兄弟の末っ子で、その辺りは世渡り上手だったんです。5歳くらいのときにお父さんと海遊館(大阪の水族館)に行くことになったんですが、「ここで喜んでおけば、お父さんの機嫌もいいだろう」なんて考えて行動していました(笑)。
私が思春期のときも、一緒にご飯を食べて、お父さんにめっちゃ質問して、自分の話もして、いい雰囲気をつくっていました。
最低限の礼儀や行儀、作法についてはとても厳しい人でした。幼いときに「おかえりなさい」と言わなかったときに、めちゃくちゃ怒られたときがありました。「人前で足を組むものじゃない」ということもよく言われました。お箸の持ち方や魚の食べ方などについても厳しく言われました。自分も親になって、そのありがたみを改めて感じます。
優しい面もあります。ご飯のときに「それを食べたい!」と言ったら、「食べ食べ」とくれたり、私が愛犬のアリソンを連れて実家に帰ったりするときは、警戒心の強いアリソンのために、床の上に大の字に何十分も寝転んで、無防備な自分を見せることで打ち解けようとしてくれました。孫のわがままもよく聞いてくれます。昔から子どもやワンちゃんにはとても優しいです。