元朝日新聞記者でアフロヘアーがトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。
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前回に続き、ホームステイさせて頂いたメキシコの食卓の話。家で食べる食事はシンプルでワンパターンなことは前回も書いたが、これは手抜きとか時短とか食に興味がないからなどということでは全くない。ご夫妻とも(むろん私も)毎回いそいそ食卓に着き、トルティーヤにおかずを適当に乗っけて好みのサルサをかけ、くるっと包んで幸せそうにパクッと頬張っている。
おかずのバリエーションも日本の感覚からすると驚くほど少ない。お父さんの好物である煮豆が常備してある他は、茹でた骨付き鶏肉、野菜入りの米、野菜にライムと塩をかけたシンプルサラダがあったりなかったり。あとはチーズ、アボカドなど買い置きのものをポンとテーブルに置き各自好きなものを好きなだけ取って食べる。朝は必ずオムレツがつくが大体いつもこんな感じである。
なのでせっかくはるばる来たのだから日本のおかずを作ったら喜ばれるのではと、ある日張り切って人参のきんぴらとアボカドの手捏ね寿司と味噌汁を作った。美味しいよとニコニコ食べて下さったが表情が微妙。いつものおかずが一番なんですね。いつも食べているものがベストという揺るぎなき確信に圧倒され、それからは、お手伝いするときは和風アレンジなど加えず現地のレシピを聞きその通り作ることを心がけた。
ちなみにメキシコでは「料理上手」というのは斬新なおかずを華麗に作る人のことではなく、昔ながらのふっつうのおかずをめちゃ美味しく作る人のことである。日本で言えば煮物上手なおばあちゃんのような感じである。
こんなふうだから、リッチな人もそうでない人も食べているものは基本同じらしい。逆に言えば、貧しくとも料理上手であれば日々誰より美味しいものを食べているのである。メキシコで一番驚いたのが、凄まじい格差社会なのに誰もが堂々として温かい笑顔を異邦人に向けてくれることだったが、その理由が少しわかった気がした。料理ができることは誰もが幸せに生きるための革命なのである。
※AERA 2024年3月25日号