哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。
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私の主宰する道場凱風館では武道の稽古以外にも、「芸能枠」があって、さまざまな芸能のために舞台を提供している。先日はパンソリ唱者の安聖民さん、鼓手の趙倫子さんをお迎えして『水宮歌』『沈清歌』の一節を演じて頂いた。パンソリの公演はこれで5回目。終演後の懇親会でお二人から厳しい修行時代のお話をうかがっている時に、ふと凱風館がこれまで舞台を提供してきた芸能者のほぼ全員が女性であることに気がついた。浪曲の玉川奈々福、女義の竹本越孝、故・鶴澤寛也、上方舞の山村若静紀、落語の桂二葉、オペラの森永一衣……例外は能ワキ方の安田登さんだけである(その安田さんもいつも女性芸能者との共演である)。これはどうしたことか。別に私が選り好みしているわけではない。門人たちの誰かが「あの人を呼びたいですね」と言い出して、彼女たちが企画も告知も集客もしてくれる。あ、そうか。言い出すのもみな女性たちなのであった。
合気道は稽古している門人の半分は女性である。杖道や新陰流ではほぼ全員が女性である。毎年伺う羽黒の宿坊でお会いする山伏たちの多くは若い女性である。AERAの読者はご存じないだろうが、日本の修験道はいま女性が支えているのである。能楽はだいぶ前からそうである。稽古をするのも見所に来るのも女性たちが過半である。
現代日本社会では「伝統」を女の人たちが継承しているのである。たぶん多くの男たちはそのことを知らないと思う。大手メディアも報じないし、ネットで話題になることもないから。
たしかに、「日本の伝統をたいせつにしよう」とうるさく口にする男たちは(政治家や言論人に)少なからずいる。だが、その男たちの中に、心身を磨くための「修行」に励んでいる者がいくたりいるか。絶えかけている伝統の継承のために身銭を切っている者がどれだけいるか。単なる「復古的気分」を味わいたいだけなら「伝統」という言葉を軽々しく使ってほしくない。
わが国の衰運はもう止まらないだろう。だが、「失ってはならないもの」は失ってはならない。それを黙って守ってくれている人がいる。伝統を支える女性たちに深く感謝したい。
※AERA 2024年2月12日号