「8時だョ!全員集合」の記念すべき第1回が放送された1969(昭和44)年10 月4日の朝日新聞テレビ欄。全盛期はあまりの人気に、プロ野球中継などで番組を休止させることはほぼなかった。ちなみに当時、後の9時からの番組はこれも大人気だった「キイハンター」。(写真/朝日新聞社)

 ドリフも当初はロカビリーバンドで、少しコミカル路線を取り入れてきた時期。ジャズ喫茶で演奏するときに、よく共演もしていました。僕を誘ったのはギターの腕を買われたから? そう思って長さんに聞いたら「デブだからだよ」って(笑い)。メンバーの中に一人デブがいると、それだけで面白みが出ると考えたそうなんです。

 時代的にはジャズ喫茶なんかも生演奏からカラオケに少しずつ移行して、バンドマンたちはテレビに出演するようになっていました。これから到来する〝テレビの時代〟に向けて、音楽だけじゃなくてお笑いもできるメンバーを集めていたそうで、長さんはそういう先見の明があったんです。

 ドリフに入ったときは、長さんと加藤(茶)だけで、僕と荒井(注)さんは同時期に加入。仲本(工事)は翌65年に僕が誘ってメンバーになりました。仲本とはドリフに入る前に一緒にバンドで活動したこともあって、当時は音楽をやめて会社員になっていたから、二つ返事で参加が決定。こうしてドリフの5人のメンバーがそろった。

 実は僕には「高木智之」っていうバンド時代からの芸名があって、ドリフに入ってしばらくは、それで活動していました。ある日、先輩であるクレイジーキャッツのリーダーのハナ肇さんがメンバーみんなに、ドリフらしい芸名を付けてくれることになりました。「長介」「茶」「注」「工事」もすべてハナさんがつけた芸名です。僕は最後に「お前は『ブー』でいいや」って。確かに周りから「ブーたん」って呼ばれてたけど、芸名に「ブー」は、あんまりじゃないかと思いましたよ。でも、皆が親しみを込めて「ブーさん」とか「ブーちゃん」って呼んでくれて、いい芸名をもらって今はとても感謝してます。

 この5人で、「8時だョ!全員集合」が1969年にスタート。土曜日の夜8時から毎週、公開生放送だったからとにかく大変。木曜日の午後3時に集まって、コントのネタを決める会議。ドリフのメンバー5人と、ディレクターや放送作家、セットを作る美術スタッフも入れると毎回30人くらい。長さんが納得するまで会議は続くから、朝方まで終わらないこともありました。

 ようやくネタが固まったら金曜日の午後3時からリハーサル。ここでも何度もネタや舞台を修正して本番ギリギリまでやってました。あそこまで徹底してこだわって作り込んでいったからこそ、面白い番組になったんだろうね。

 74年に荒井さんが脱退して、志村(けん)が新しくメンバーになったけど、加藤とのコンビも良くって、ドリフの笑いにも厚みが出て「全員集合」はますます人気番組になっていきました。

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