鎌倉幕府の成立を皮切りに、天皇制から武家政権に移り変わった中世の日本。これまでの武家政権が求めた「正当」と「正統」を求めてきたという。日本中世史の歴史学者、関幸彦氏の著書『武家か天皇か 中世の選択』(朝日選書)から一部を抜粋、再編集して解説する。
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至尊と至強の分離――「正統」なるものへの志向
江戸期に新井白石が記した『読史余論』(注1)では、清和天皇即位から徳川幕府に至る歴史を「九変五変」と区分して論じている。徳川以前の武家を考えるにあたり、『読史余論』での中軸は「一変」から「四変」が該当する。鎌倉と室町の二つの武権の段階だ。武家は朝廷と半ば対立し、半ば協調する関係を維持しつつ、近世を迎えた。十二世紀末の内乱――源平の争乱(治承・寿永の内乱)は、武家政権の第一ステージともいうべき鎌倉開府を実現させた。さらに十四世紀半ばの内乱(元弘・建武の乱、南北朝の動乱)は、室町幕府の成立に繋がった。天皇と内乱との関係でいえば、ともどもが不即不離の関係にあったことになろう。
権力なり権威の存在価値を語る表現に、「正当」あるいは「正統」の語がある。それぞれ「セイトウ」・「ショウトウ」と読むが、両者は混用されることが少なくない。概して、前者が即物的な妥当性(力による支配)を強調するのに用いられるのに対し、後者は血脈的な継承性に力点がおかれる。「源氏嫡流の正統」とか、書名としての『神皇正統記』などの使用例からもこのことは了解される。その点では「セイトウ」の読み方には「正当」の字が、「ショウトウ」の場合は「正統」が親和性を有するものと、解することも可能だ。
こうした理解を前提に、あえて朱子学的尺度で再定義した場合、「正当」には“力が正義”という結果主義の観念が強く、現実の武力的覇権が含意されている。対して「正統」は覇権的要素を非とし、血脈に立脚した理想主義への傾きが強い。武家と天皇の問題を考えるさいに、前者を権力、後者を権威という側面から説明する仕方も可能だろう。「尊王斥覇」という朱子学での理念もこれに該当する。