『方舟』夕木 春央 講談社
『方舟』夕木 春央 講談社
この記事の写真をすべて見る

 BOOKSTANDがお届けする「本屋大賞2023」ノミネート全10作の紹介。今回取り上げるのは、夕木 春央(ゆうき・はるお)著『方舟』です。

******

 「密室での殺人事件」は古今東西よくあるミステリーの設定です。そこにタイムリミットを設け、さらなるスリルと臨場感を持たせたのが今回紹介する「方舟」です。

 大学時代の友人5名と従兄の翔太郎と一緒に山奥の地下建築を訪れた柊一。そして偶然迷い込んだ矢崎という3人家族とともに、ひょんなことから地下建築の中で夜を過ごすことになります。しかし、翌日の明け方に地震が発生。なんと出入口の扉が大岩でふさがれた上に、水が流入し始めたのです。建物内にある機械で岩に付いている鎖を巻き上げて、岩を地下に落とせば出入口は開くものの、そうすると機械がある地下の小部屋が岩でふさがれ、中で操作している人が外に出られなくなります。誰かひとりが犠牲となれば、他のみんなは助かる。逆に、犠牲となる者を選ばなければ、全員死んでしまう......。そんな深刻な状況の中、さらに殺人事件が起こります。残った者たちは、その殺人犯こそが小部屋の犠牲になるべきだと考えるようになります。タイムリミットは、建物が完全水没するまでのおよそ1週間。犯人はいったい誰で、残って死ぬべきは誰なのか――?

 「山奥の地下建築」「密室」「次々に起きる殺人事件」と、ミステリー好きにはたまらない要素がふんだんに盛り込まれたこの作品。探偵さながらに事件を推理するのは冷静沈着で論理的な思考を持つ翔太郎、そして彼のアシスタント的存在となるのが柊一です。途中で事件を整理したり、翔太郎が柊一に教える形でヒントが投げられたりする場面もあり、読者は彼らとともに連続殺人事件の謎を解き進める気持ちになれることでしょう。

 「方舟」とは彼らが閉じ込められた地下建築の名称。山中に埋められた貨物船のような造りは、まさに旧約聖書の『創世記』に登場する「ノアの方舟」のよう。そして「ノアの方舟」といえば、そのエピソードにも注目したいところです。

「世が乱れ、暴虐が地に満ちたとき、善良なひとであったノアは啓示をうける。曰く、神はひとを滅ぼすことに決めた。ノアには方舟を造り洪水に備えよという。方舟が完成し、ノアとその家族、またすべての生き物の雄と雌とがそれにはいると、洪水が地上を見舞う。」(同書より)

 「方舟」という名の建物内でこれと酷似した状況に置かれるとは、なんと皮肉な話でしょうか。

 同書はエピローグであっと驚くどんでん返しが用意されているのも秀逸な点です。極限状態に置かれたときの人間の本質が垣間見えるようで、殺人事件よりもそちらにゾクリとしてしまうかもしれません。読み始めたら最後、結末が気になってページをめくる手を止められなくなってしまうことでしょう。

[文・鷺ノ宮やよい]