佐々木蔵之介(ささき・くらのすけ)/1968年生まれ。京都府出身。神戸大学在学中に劇団「惑星ピスタチオ」の旗揚げに参加。98年まで同劇団の看板俳優として活躍後、上京。2014年には「空ヲ刻ム者」で歌舞伎デビューも果たす。演劇ユニット「Team申」を主宰し、若手演劇人とも積極的に交流。今年は、1月に映画「嘘八百 京町ロワイヤル」と「記憶屋 あなたを忘れない」が公開された。大河ドラマ「麒麟がくる」では、後の豊臣秀吉である藤吉郎を演じている(写真:Pasya/アフロ)
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 23日放送の人気バラエティ「櫻井・有吉THE夜会」(TBS系)に、俳優の佐々木蔵之介が出演する。実家は造り酒屋で、大学在学中に演劇に出会ったことが俳優の道に進むきっかけになったという。本人へのインタビューを再掲載する。(この記事は、AERA dot.で2020年5月10に配信した記事の再配信です。初出は週刊朝日2020年5月8‐15日号。年齢や肩書等は当時)

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 舞台「佐渡島他吉の生涯」の、あの森繁久彌さんの当たり役と言われた明治~昭和を生きた人力俥夫・佐渡島他吉役を演じることになっていた佐々木蔵之介さん。現在52歳。“二枚目”であり“実力派”であり“個性派”でもある蔵之介さんは、今や、演劇界のみならず、映像の世界でも確固たる存在感を発揮しているが、演劇に出会うまでは、意外にもコンプレックスの塊だったという。

「兄がとても優秀だったので、そこに引け目を感じていたというのがあります。京都の洛南という進学校に進んだものの、成績は下のほうでした(苦笑)。1浪して東京の私大に入ってからも、別の大学に入りなおそうと思って予備校に通ったりして。当時はいろんなところで心を閉ざしていた。それから神戸大に入って、突然勉強しなくてもよくなって、暇を持て余していたとき、演劇に出会ったんです。舞台上で、お客さんに拍手をいただき、笑っていただけたことで、何かひとつ“認められた”という感じはありました」

 人前で話すことは、もともと得意ではなかった。演劇の世界に足を踏み入れたのも、「家業(造り酒屋)を継ぐなら、人前でうまく話せるようにならないと」と思ったことが動機の一つ。

「でも、演劇に出会ってからは、仲間たちとの関係を“ここで終わらせられない”と思ったんです。芝居は、僕のそれまでの人生で長く続けることができた唯一のことでした。もしかしたら、唯一の“夢中になれる遊び”であり“自己表現”だったのかもしれない」

 大学を卒業後、関西の広告会社に勤務したこともある。劇団を辞めて、単身上京したのは、30歳のときだ。

「30歳で上京は遅すぎる、なんてことも言われましたけど、『遠回りしたな』と思うことはないです。劇団で頑張ったことも、会社に入った2年半のことも、後々の力になっている。当時の仲間とは今も付き合いがありますし、劇団時代に知り合った人たちとお仕事でご一緒したりもしてます」

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