
杉山清貴&オメガトライブ、竹内まりや、稲垣潤一、菊池桃子……アラフィフの青春を彩った楽曲たちは今「シティ・ポップ」として世界中から注目を浴びている。「シティ・ポップ」を代表する作曲家といえば、“林哲司”をおいて他にはいない。作曲家デビュー50周年を記念したコンサートが開催されるのを前に「シティ・ポップ」流行への思い、アーティスト達との邂逅、ヒット曲連発の裏側など、50年の作曲家人生を振り返ってもらった。
デビュー時はあどけない?中森明菜ジャケ写で振り返る40年【写真30枚】
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中森明菜が命名「北ウイング」
――中森明菜さんへ提供された「北ウイング」について聞かせてください。
中森明菜さんは既にアイドルとして確固たる地位にいて、独特なスタンスを持っている人でした。始まりは明菜さん自身から。「杉山清貴&オメガトライブ」の「SUMMER SUSPICION」を聞いて、僕に曲を書いてほしいと。依頼時には「少女A」の強い世界と「セカンド・ラブ」の優しい世界、その真ん中、中間で作ってくれと言われて。「難しい注文だな~」と戸惑いつつも、自分なりに出した答が「北ウイング」です。タイトルも、最初は「ミッドナイトフライト」だったんですが、彼女が「北ウイング」で、と。そういう意味でも、彼女は当時から「こうしたい」という明確な意思がありましたし、トップアイドルでありながら、自己プロデュース能力も持っている稀有な存在でした。
菊池桃子の曲はアイドル曲へのアンチテーゼ
――中森明菜さんだけでなく、“アイドル”と呼ばれる人、たとえば菊池桃子さんにも楽曲を多数提供されています。
菊池桃子さんの場合は、僕の意向がだいぶ反映されました。申し訳ないけど、それまでのアイドルソングはあまり好きではなかったこともあって「今までにないものを作ろう」という強い意図を持って向かった仕事です。
シングル曲はヒットという命題がありますが、アルバムだったら自分の感覚でまとめられるので、だいぶ冒険しました。アイドルだってキラキラとスポットライトを浴びている場面だけじゃない。スタジオ、テレビ局を離れた後、車に乗って家にたどり着くまでには一人の女性になっていく。恋もしたいだろうし、仕事に疲れて元気がないときもある。そういう人間らしいシーンを表現したい、いつも微笑んでいるポートレートだけの世界ではない、そんな世界観をアルバムの中に込めました。
――確かに。菊池桃子さんはビジュアルがアイドルなのに、曲がアイドルソングっぽくない印象がありました。
そうでしょう(笑)。当時としては冒険でした。菊池桃子さんから聞いたのですが、当時、同世代のアイドルたちとテレビ局なんかで一緒になると、「あなたの曲は自由でいいね」と羨ましがられたそうです。それだけアイドルソングは伝統的なヒットを生み出すための暗黙の制約がガチガチにあったわけです。もちろんキラキラした伝統的なアイドルソングにも意味や役割はあったとは思うんです。でも、全員が、すべての曲がキラキラしてなくてもいいだろうと。そういったアンチテーゼ、反発もありました。