『オフ・コース、オフ・コース』チャールス・ロイド
『オフ・コース、オフ・コース』チャールス・ロイド
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 現在では「ラスト・ジャズ・ジャイアンツ」の一人に数えられるテナー・サックス/フルートの巨匠チャールス・ロイドだが、なんといっても無名時代のキース・ジャレット(ピアノ)とジャック・デジョネット(ドラムス)を起用し、「ザ・ファースト・サイケデリック・ジャズ・グループ」として、ジャズ・ファンのみならずロック・ファンの間でも絶大な人気を呼んだ伝説のグループのリーダーとして広く知られ、語り継がれている。

 今回のシリーズで登場する『オフ・コース、オフ・コース』と『ニルヴァーナ』は、そのロイドがサイケデリックな方向に舵を切る直前の、いわば純ジャズ時代の演奏を収録したアルバム。もっとも「純ジャズ」とはいうもののロイドの音楽性は従来のジャズの概念に収まるようなものではなく、あらゆる方向に向けて可能性の扉が開かれている。そもそもロイドとはどのようなミュージシャンなのか。そして『オフ・コース、オフ・コース』には、どうしてザ・バンドのロビー・ロバートソンが参加しているのだろうか。

 チャールス・ロイドは1938年3月15日、テネシー州メンフィスで生まれた。チコ・ハミルトンやキャノンボール・アダレイのグループで活躍し脚光を浴びる。キャノンボール時代に、ホークスと名乗っていた、カナダ人主体のグループと出会う。当時ホークスはロジャー・ホーキンス(ヴォーカル)のバック・バンドとしてロックンロールや軽いリズム&ブルースを演奏していた。

 ロイドとホークスが出会った時期は不明だが、ホークスの最初期と考えていいだろう。ロイドはホークスのサックス奏者ジェリー・ペンフォウンドが吹くフルートから影響を受けた。なおペンフォウンドはホークスがザ・バンドへと変貌をとげる過程で脱退した。一方ホークスもまたロイドの演奏に強く惹かれ、たとえばリボン・ヘルム(ドラムス)はロイドの演奏を「ソウルフル」という表現で称賛している。そのように評価される背景には、ロイドがメンフィス出身だったこと、ジャズ・ミュージシャンを志してはいたが、マディ・ウォーターズやBBキングといったブルースのミュージシャンと長く共演した経験があった。

 65年3月8日、ロイドはリーダー作の吹き込みに際し、当時のレギュラー・ギタリスト、ガボール・ザボに加えて、ホークスでギターを弾いていたロビー・ロバートソンに声をかける。ロバートソンは《サード・フロアー・リチャード》と《サン・ダンス》で演奏したとされる(初出時にはクレジットされなかった)。これら2曲は『オフ・コース、オフ・コース』と『ニルヴァーナ』に分散収録されたが、現在はこの最新版『オフ・コース、オフ・コース』にまとめて収録されている(現在『ニルヴァーナ』に収録されている「サン・ダンス」はガボール・ザボがギターを弾いているバージョンとされる)。

 最新版『オフ・コース、オフ・コース』は64年5月8日、65年3月8日、同10月15日のセッションで構成されている。メンバーはセッションによって異なるが、注目したいのは64年録音の5曲。当時マイルス・デイビスのクインテットのメンバーだったロン・カーターとトニー・ウィリアムスが参加している。このセッションをマイルスの時間軸に置き換えれば、『フォー・アンド・モア』(2月)と『マイルス・イン・トーキョー』(7月)のほぼ中間地点にあたる。つまりロイドとマイルス間におけるメンバーの引き抜き合戦は、一般に知られるキース・ジャレットとジャック・デジョネットの引き抜き以前にすでに勃発していた。またアルバート・スティンソン(ベース)はその後、ロン・カーターの代役としてマイルスのグループで演奏した経験をもつ。

 すべてが近接し連結していた時代の、さらにその輪の中心にチャールス・ロイドとこのアルバムがあったことを想像すると、何か熱いものがこみ上げてくる。しかしこの音楽は、そのような郷愁をはねのけ、さらには60年代という額縁からはみ出し、いまなお新しいサウンドとして鳴りわたる。時代を超えた名盤だと思う。[次回6/1(月)更新予定]