戦国時代、兵站は「荷駄」と呼ばれた。安定的な荷駄の供給は勝利のために不可欠で、「小荷駄隊」という後方支援部隊が運搬を担当した。イラスト/瀬川尚志
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 戦国時代は常に臨戦態勢だったとはいえ、大軍が戦場へと移動して、命をかけて戦うには、相応の準備が必要だった。出陣前の作戦会議にはじまり、兵の招集、人数の確認、出陣の儀式、兵站輸送、そして着陣まで。週刊朝日ムック『歴史道Vol.29 戦国時代の暮らしと作法』では、そんな「出陣の手順と作法」を特集。今回は、合戦に必要な道具や食料を安全に運ぶ「兵站輸送」について解説する。

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 兵たちが円滑に移動するため、出陣前には先遣隊が、軍勢が通過することを触れて回った。この兵の円滑な移動は、兵糧の安全な輸送に繋がる。

 武具や兵糧を運搬したのは、小荷駄といわれる非戦闘員である。彼らは、下級の武士あるいは村落から徴発された農民だった。兵糧は将兵の自弁(自己負担)であるといわれてきたが、それはあくまで短期戦の話で、長期戦では大名が商人から買い付けた。購入された兵糧は、馬などに乗せて運んだのである。当時の人々は、1日に5合の米を食べたというから、兵糧はかなりの分量になった。ただし、実際は各将兵に一部を配付するなどし、運搬の負担を減らしたと考えられる。

 おそらく兵糧は一カ所で大量に買い付けて運ぶのではなく、その後の行軍ルートを考慮しながら、行く先々で必要な分量を購入したと考えられる。購入する際は見積りを行い、適正な価格を見極めた。

 長距離移動で重要な役割を果たしたのは、馬だった。当時の馬は農耕でも使われており、非常に高価。東国の北条、武田、上杉、徳川の諸氏は、運搬に必要な人馬を備え、交換できる駅制を取り入れていた。この馬を伝馬といい、継立業務を行う問屋が伝馬の営業を行った。出陣の際に疲労した馬を交換することもあった。問屋は軍需物資だけでなく、飛脚、家臣の逓送も担当したといわれている。

※週刊朝日ムック『歴史道Vol.29戦国時代の暮らしと作法』から

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