5月5日は端午の節句(こどもの日)。日本では笹餅(笹で包んだチマキ)を食べますが、中国でも旧暦5月5日の端午節に、モチ米を笹で包んで蒸した中華チマキを食べる習慣があります。
その起源は中国・楚の時代にまでさかのぼり、そこから広まったチマキの風習が日本に伝来したといわれています。
楚の時代に端を発する風習として、中国から日本へ広まったチマキの由来とは……?
そこには、楚の国で慕われていた英雄の悲話が隠されていました。
端午の節句にチマキを食べる習慣には、こんな中国の悲話が……
今からおよそ2300年前、中国・楚の国に詩人であり、優れた政治家でもあった屈原(くつげん)という人物がいました。正義感の強い屈原は国の英雄として慕われていましたが、腐敗した政治家たちを抗議したことで逆に追放され、失意の末に湖南省の汨羅(べきら)という河に身を投げて入水自殺を図りました。
これを見かけた村人たちが舟で助けに行きましたが間に合わず、屈原はそのまま溺死してしまいます。
これを嘆いた村人たちは、水底に沈んだ屈原の身体を魚たちが食べないように、ハスの葉でくるんだチマキを水に投げ入れました。
以来、屈原が亡くなった旧暦5月5日の端午節に、英雄の死をしのんでチマキを食べる習慣が広まったといわれています。
端午の節句のお祝いに中華チマキはいかが?
中華チマキの具には、豚肉・鶏肉・干しエビ・シイタケなどがよく使われますが、端午節の時期に登場するのが、中にアヒルの塩玉子が丸ごと入ったビッグサイズのチマキです。
その大きさは普通のチマキの2倍以上!
モチ米と濃厚な塩玉子の風味が絶妙にマッチして、あっという間にペロリと食べ切れてしまいます。
その他、カンスイに浸けたモチ米を竹の皮で包んだ、「カンスイチマキ」という変り種もあります。
ゼリーのようなプルプルとした食感が特徴で、形も通常のチマキのような三角錐ではなく棒状をしています。
中国では砂糖やキナコを付けて、スイーツ感覚で食べられているそう。ちょっと面白いですよね。
端午節をはさんだこの季節、横浜中華街や神戸の南京町、長崎新地中華街などのお店にも、いろいろな種類のチマキが並んでいます。
ぜひこの機会に足を運んで、端午節ならではの旬の味覚を楽しんでみてはいかがでしょう。