姜尚中(カン・サンジュン)/東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史
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 政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。

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 今回の日本の処理水の海洋放出は、内外で大きなハレーションを起こしています。なかでも水産物の全面輸入禁止に打って出た中国に対する反発で、両国の間の敵愾(てきがい)心が高まりつつあります。海という公共財の保護や漁業・水産加工業の持続可能な維持、食の安全といった問題が、国家間の地政学的な対立やナショナリズムの相剋(そうこく)という問題にスライドしつつあるのは本末転倒です。

 問題の核心は、肝心のデブリ(溶解した核燃料棒や炉心構造物)の安全な取り出しのメドがたたず、ALPS(多核種除去設備)によって処理される以前の汚染水の増加を防ぐ決定打が見つからないことです。福島第一原発の構内に設置されたタンクは約1千基、137万トンとも言われています。トリチウムの濃度が海洋放出の際、近隣諸国の原発から放出されている排水より低濃度だとしても、トリチウム以外の放射性核種の除去が完璧なのか。また、南海トラフなどで巨大地震が起きた場合の不安や疑念にも答えていく必要があるはずです。

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