志岐さんは続けた。
「銭湯から出てくる人に1回1回、撮影を頼むって、結構、エネルギーがいる。『ああ、しんど』と思って、途中でちょっと撮影を休んだときもありました。でも、『あかんわ』と思って、また撮り始めた。最後までね、何とかしないと。でも、面白かったです」
志岐さんは日常、銭湯を使うことがなかったので、銭湯のコミュニティーがとても新鮮だったという。
「やっぱり銭湯に集まって、話ができるし。お風呂がある人も、ない人もしゃべりに行ったりする。常連さんもおられますしね。『お前、昨日なんで来いへんかった』とか」
18年に大阪府大東市の「菊水温泉」が廃業した際は、「集まる機会がなくなった、って言うてました。だから、『誰がいてるか、わからへん』と。本当にふれあいの大事な場やったんやな、と思いますわ。『なんや、そんなんも知らんかったんか』と言われそうですけれど」。
閉まる前に子どもたちに
冒頭に書いた敷島温泉のように、繰り返し銭湯に足を運ぶと廃業していることがたびたびある。
「ついこの前、しゃべったご主人、そんなことはひと言もおっしゃっていなかったのに、廃業されていて、えーっ、そうなんですか、という感じで」
レトロで雰囲気のある銭湯、といえば聞こえはいいが、老朽化が進んでいる、ということでもある。改修には多額の費用がかかる。
「みなさん、しょうぶ湯やレモン湯をされたり、いろいろな経営努力をされたうえで廃業を決められるわけですから、仕方ない。残念ですけど」
銭湯の前で家族4人が写った写真がある。1937(昭和12)年に建てられた「源ケ橋(げんがはし)温泉」(大阪市生野区)だという。
「ここはすごくて、文化財になってるんですよ、ガラスなんかも、うっわーという感じでね。『輸入もんや』言うてましたけど、廃業されました。このご家族は、閉まる前に子どもたちを入れときたいから言うて、来られた。ああ、それはええことやなと思いました」
作品の底辺には「記録」という気持ちがあるという。
「これまでの作品もずっと『記録』してますのでね。ほんま日常の、ごく普通の人たちの記録という意味で、銭湯を撮らしていただかなあかんなと、勝手に思ってます」
(アサヒカメラ・米倉昭仁)
【MEMO】志岐利恵子写真展「湯あがり」
ニコンサロン(東京・新宿) 8月29日~9月11日