「事実」を教えてくれた
執筆するために、本や資料を読み漁った。寝ても覚めても寂聴さんがそこにいるような気分で、寂聴さんを憑依(ひょうい)させるように書いていく。性愛抜きには寂聴さんは語れない。生々しい性愛の描写も「寂聴さんに負けちゃいけない」と隠さず書いた。ちょうど、フランス人作家アニー・エルノーがノーベル文学賞を受賞。エルノーは自身の性愛体験を描いて話題になった作家であり、それもモチベーションになった。
この本の出版が天啓なのでは、と思う偶然もあった。延江さんが執筆を終え、ゲラを母袋さんに確認してもらっていたときのこと。母袋さんから編集者に「自分の名前が、先生の小説の中に実名で出ていたことが分かりました」と連絡があった。調べてみると確かに、寂聴さんが2011年に出版した短編集『風景』の中の「車窓」に、彼の名前が出てくる。しかも恋人役で。
「その本で寂聴さんは泉鏡花文学賞を取っているんだけど、母袋の言ってることがリアルだとより確信が持てたし、寂聴さんも母袋のことが好きだったことが分かった。驚いちゃった。寂聴さんが事実を教えてくれたんだなと」
『J』の出版時期は、くしくも広末涼子さんと鳥羽周作さんの不倫が世間を騒がせているときと重なった。それもなんだか寂聴さんの思し召しのようだ。
「寂聴さんが生きていたら、『しょうがないじゃない、好きになっちゃったら』と言ったと思う。それで世間も黙ったんじゃないかな。命をかけて恋愛している人たちがそこにいる、ということで十分だと思いますけどね」
(編集部・大川恵実)
※AERA 2023年8月7日号