ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの連載が、「今週のお務め」とリニューアルして始まりました。4回目のテーマは「日本人がありがたがる『生』」について。
* * *
最近ネットニュースなどで頻繁に見る「顔出し謝罪」という言葉。文字だけでなく映像付きで謝罪をすることを指す言葉だそうですが、字面もサウンドも卑猥過ぎて、目にする度に赤面してしまいます。私の感性がおかしいのでしょうか? 子供たちには絶対に使って欲しくない日本語です。
プライバシーや個人情報といった概念が浸透するにつれ、何かを「晒す」「公開する」ことは、たとえそれがどんなにつまらないものであっても、一定の値打ちが付くようになってしまいました。「15歳のイケメン息子と顔出し親子ツーショット公開!」だの「リゾート風私服コーデでダイエット経過を直筆掲載!」だの、今や無料で見られさえすれば何でも重宝がられる世の中。私も先日、カバンの中身を「公開」しておぜぜをいただいたばかりなので、他人様のことをとやかく言えた義理ではありませんが、要はこうした貧乏臭い価値観が、いつの間にか当たり前になったが故に、「顔出し謝罪」なんて恥ずかしい日本語がメディア上で躊躇なく躍る事態になっているのだと考えられます。
同様にもうひとつ気になるのが、歌手が生放送のテレビ番組で歌を披露する際に必ずと言ってよいほど表示される「生歌披露」という言葉。これは、「生放送で歌唱する」という意味の「生」なのか、それとも「口パクではないですよ」を強調するための「生」なのか、いずれにしても日本人の「生」に対する執着は、「生麦生米生卵)に代表されるように、他国と比べても異常です。
物質的な鮮度や純度だけでなく、感覚や体験にも「生」を追求し強調する日本人。生電話、生写真、生脚に生着替え。「生」が付いた途端に、それこそ価値が上がり、妙にありがたい気持ちになってしまう。「生歌」もその延長線上に根付いた観念なのでしょう。YouTubeの『THE FIRST TAKE』なんかを観ていても、単に「生」「一発撮り」というワードにほだされて、無理やり感動する人が何百万といるのだから、そりゃ執拗に煽るのも仕方ないのかもしれません。