1991年7月10日、長崎県雲仙・普賢岳の大火砕流からわずか37日後に避難所を訪れ、ひざをついて避難住民に語りかける天皇、皇后両陛下(当時)
1991年7月10日、長崎県雲仙・普賢岳の大火砕流からわずか37日後に避難所を訪れ、ひざをついて避難住民に語りかける天皇、皇后両陛下(当時)

 雅子さまへのバッシングは、「子どもを産まない」という点が大きかったと河西さんは言う。「皇太子妃は男児を産むことが第一義。『元外交官による皇室外交』なんか知ったこっちゃない」。そんな考えがあったと言う。

「これも積極的にバッシングしていたのは、保守的な思想を持つ人たちでした。でも、秋篠宮家へのバッシングは、そういった思想的なものを感じません。『あいつらだけ特権的に』という、感情的なところに核があるように思います」

 精神科医の香山リカさんも「質の変化」について、美智子さまや雅子さまへのバッシングには、「皇室に自分の状況や世相を投影し、そこに怒りをぶつけている面があった」と指摘する。

「民間から天皇家に嫁いでお姑さんとの間でも苦労して、という美智子さまの物語に共感する人は多かった。たとえば『美智子さまは夜中にお付きの人にラーメンを買いに行かせた』といった真偽不明のバッシングにも、『虐げられてきたんだから。私も気持ちはわかる』という思いと、『でも私にはそんな勝手なことできない』という思いと、愛憎両方でバッシングしてしまう部分があったと思います」

 そして、雅子さまは男女雇用機会均等法第1世代の象徴。キャリアと結婚とどちらを取るかという状況も経て、さまざまな苦労をする雅子さまに、「気持ちがわかる」「それくらいで悩むなんて。私はもっと苦労してる」など、やはり愛憎入り交じる声だったと香山さんは言う。

「美智子さまも雅子さまも、当時の女性たちが、自分の、あるいは身の周りにいる女性の問題の延長として、応援したり批判したりしていた。でも、秋篠宮家に対しては自分のことは棚に上げている印象です。たとえば佳子さまに対しても、『結婚のことも考えて、公務もして大変だろうな』という視点はまったくない。距離を置きつつ、あれこれと非難している感じがします」

(編集部・小長光哲郎)

AERA 2023年6月12日号より抜粋

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