TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は中銀カプセルタワーと黒川紀章さんについて。
* * *
銀座8丁目の中銀(なかぎん)カプセルタワービルが昨年姿を消した。11階建てと13階建て2棟に140個のカプセルユニットがあり、SONYのAV機器が据え付けられ、円形の窓が近未来を示し、一つ一つのカプセルの中で日々の生活が営まれていた。
新陳代謝を意味する建築運動「メタボリズム」のリーダーだった黒川紀章はその象徴として中銀カプセルタワーを設計、1972年に竣工した。「時代の変化に沿って建物は変化し、増殖していくべきだ」。カプセルを交換しながら200年維持する構想だったが、どれか一つを取り換えるのが難しく、全てを一挙にという手法も所有者の意見がまとまらなかった。
時代に建築は即応するべきと黒川が唱えたが、このビルの消滅は衰退の一途を辿(たど)る日本のディストピアを示していた。これもまたメタボリズムなのだろう。
ギャラリーを営んでいる友人から誘われた。軽井沢にカプセルが遺(のこ)されているという。山の中腹で待っていると、先導のためにスポーツカーが下りてきた。「こんにちは」。降りてきた黒川未来夫(みきお)は長髪でロックミュージシャンのような風貌だった。世界に名を知られた建築家の息子は50代半ばだが、切れ長の目は父に似て鋭い知性を感じさせ、少年のような印象を持った。「カプセル建築は可能性が無限。都会にそびえ立つ中銀カプセルタワービルに対し、小さなサマーハウスを作ることでその可能性を示したかったようです」
外から眺めるとサマーハウスは森の中でひっそり呼吸しているように見えた。国内外で出版された黒川紀章作品集、レコード……。そこかしこに父の匂いのする品々が置かれた部屋で彼は話し始めた。
「父の周辺にはいたくなかったんです」。受けたのは東京藝術大学だが、建築ではなく美術学部。「藝大? 受かるわけない」と父の言葉も聴こえてきたが「2浪の末、合格しました。美術学部絵画科油画専攻です。この科が日本で現代美術を勉強する上で適した場所だと聞いていたから」