東京都内を中心に8店舗に広がった日本百貨店
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日本百貨店店内
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日本百貨店入り口
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鈴木さんおすすめ 懐かしのブリキのおもちゃセットご購入はこちらから
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 日本百貨店って、そんな百貨店あったっけ?そう思われる方は多いでしょう。名前は大きく構えつつ、細やかな目利きで、日本各地でほれ込んだ職人の逸品をご紹介。商社を脱サラして小売業を始めた鈴木正晴さんが、産地でのヒトやモノとの出会いをつづります。

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 日本百貨店代表の鈴木正晴です。日本のモノづくりとスグレモノをテーマとした出会いの場“日本百貨店”をオープンして早3年半が経ちました。その間、私自身、様々な出会いがありました。ものすごい密度の3年半を過ごさせていただきました。最初のコラムでご紹介するのは、東京に唯一残ったブリキのおもちゃ工場「三幸製作所」(東京都葛飾区)の製品です。この三幸製作所が、日本百貨店の出発点であり、様々な出会いの原点であるのです。

 商社に勤める普通のサラリーマンであった私が一念発起して31歳で脱サラし、今までまったく経験のなかった“小売店舗”をひらくという、知人に言わせればアホな選択をするに至ったのは、それこそ様々な出会いがあり、様々な出来事があったからなのですが、三幸製作所の柳澤總光社長との出会いは、その中でも印象的なものでした。

 サラリーマン時代、輸入の仕事ばかりしていた私が、日本のものを海外に売るということに興味を持ち、会社を辞めて新しい活動を始めたころでした。たまたま知り合った柳澤さんから、自慢のブリキのおもちゃを見せてもらった私。柳澤さんは「こんなもん儲からねぇから、もう娘婿にも継がせないし、俺の代で終わるんだよ」と言います。それを聞いて「えー、こんなにかわいいんだから続けてよ」。何気なく私が発した一言で、柳澤さんの目つきが変わりました。「儲からねぇからやめるってんだ! じゃあ鈴木君がもうからせてくれよ!」。30も40も年の離れたおじいちゃんに、真剣な目で怒られました。

 その瞬間、ハッと、条件反射的に思ったのが、“じゃあ、儲かるようになれば止めないんだね“ということ。なんとなくですが、日本のモノづくりにお金が回らないから続かない。だけど逆に言えば、お金が回れば続くんじゃないか。この日から来る日も来る日も柳澤さんの言葉が耳を離れず、自分に出来る、出来ないではなくて、あのブリキのおもちゃをなくしたくない、そんな思いが大きく膨らんでいきました。

 海外の製品が悪いとか、日本が一番とかいう話じゃありません。ただ、柳澤さんのモノづくりには愛があふれている。塗料は、色々と規制がうるさくなるずっと以前から、子どもがなめても安心な塗料を使用している。おもちゃの角の部分は、子どもが指をひっかけてけがをしないように、丁寧に中に巻き込まれている。いろんな考えがあるから、ほかの商品を決して否定するつもりはないけれども、私にとって柳澤さんの思いが詰まったこのブリキのおもちゃは、ずっと語り継いでいきたい逸品なのです。

 柳澤さんはいま77歳。初めての出会いからもう五つは齢を取りました。だけど、今でも遊びに行けば「鈴木君、もっとたくさん売ってよ」の一言。以前は「鈴木君はぜんぜん売ってくれない」のせりふだったので、だいぶん扱いはよくなってきたのかな。帰るときは「もう帰っちゃうの、忙しすぎるんじゃないの、身体気を付けないと」。“おっさんこそ気をつけろよ”と思いながら、ブリキ工場を後にします。後継者はまだ決まっていないけれど、私は自分ができること、このブリキをお金に変えるコト。しっかりやっていきたいと思っています。

 日本百貨店で販売している商品には、こういう思いや気持ちがたくさん込められています。少しずつ、皆さまにご紹介できればと思っております。