写真=伊ケ崎忍
写真=伊ケ崎忍

 結果、真面目に左翼文献を読み込むような中国人ほど、自国の党の主張に違和感を持つことになる。現在、都内でアナーキズム文献を扱う書店や学習サークルでは、バックたち以外にも複数の、アナーキストやそのシンパである若い中国人男女のグループが観察されている。

 ほか、マルクス主義に本気で向き合った若い中国人には、こんなパターンもある。

「資本主義が中国をダメにした!」

 白紙運動の当時、中国の四川省成都市のデモ現場では、若者からそんな言葉が飛び出したという。

 近年の中国で、反体制的な立場の一角を担っているのは、実は真面目なマルクス主義者の学生たちだ。18年8月には、中国のトップ校である北京大学のマルクス主義研究サークルの学生らが「社会主義の実践」として広東省深セン市の工場で労務運動を支援し、プロレタリアート(無産階級)万歳を呼号して労働者たちと連帯。デモや集会をおこなったことで、当局の弾圧を受けた事件も起きている。

「新宿南口でおこなわれた白紙運動の集会参加者に話を聞くなかで、過去に深センの労務運動に加わっていたと話す若者がいました」

 東京で私と同じ現場を取材していた新聞記者の一人から、こんな話を聞いたことがある。

 もちろん、日本で白紙運動に参加した留学生のうち、アナーキストや反体制的マルクス主義者は、多くてもそれぞれ十数人程度だ。日本で運動をリードするほどの影響力を持っていたわけではない。ただ、非常に興味深い現象なのは確かだろう。

 現在、日本の経済力や国際的な影響力は中国に大きく水をあけられ、いまや技術開発力でも後れを取っている。日本に来る中国人留学生も、往年のような国家の未来を担い得る超一流のエリートは姿を消し、漫画やアニメのオタクや、自国の激しい競争社会に疲れた「のんびりしたい」タイプの人が多くを占めるようになった。

 だが、それでも日本が中国に対して優位性を持つ部分はある。それは、人々がさまざまな情報を得たり、自由に思索を深めたり、同じ考えを持つ仲間と集まって語り合ったりしても、日本では決して処罰されないことだ。

 また、日本語は政治や哲学などの抽象的な概念ほど、中国語と共通語彙が多い(明治期に日本人が翻訳した語彙が輸出されて中国語として定着したためだ)。ゆえに中国人にとっては、欧米諸語と比べて「難しい概念を理解しやすい」という特徴がある。なんらかの思想的人生を志した中国人にとって、日本はそれを深く学んで身につけやすい国であることも確かだ。

 いまや日本は──、なかでも中国人に人気の高い大学が集中する東京は、自国になんらかの違和感を抱いた中国の若者の「避難港」のような役割を持つ土地に変わりつつある。本国ではたった数日で終わった小さな反乱は、東京が持っていたそんな側面を、図らずも浮き彫りにさせた事件だったと言えるのかもしれない。(了)

週刊朝日  2023年5月26日号

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