確かに記者がいいなと思った短歌も、これまでの経験などから共感を覚える心情を詠んだ歌だった。冒頭の律月さんの一首然り。石川啄木の『一握の砂』(桜出版、/は改行)も然り。たとえば、
【ゆゑもなく海が見たくて/海に来ぬ/こころ傷みてたへがたき日に】
【こみ合へる電車の隅に/ちぢこまる/ゆふべゆふべの我のいとしさ】
などで、特に以下の一首はつい噴き出してしまった。
【一度でも我に頭を下げさせし/人みな死ねと/いのりてしこと】
田島さんはこう続ける。
「失恋や親との死別などの悲しい出来事が起こったときに、短歌があることで自分自身と向き合って、耐えることができたという話をよく聞きます。短歌はそういう役割も果たせる。私は短歌を一本の木のように思うんです。短歌自身は何も言わず、植物と一緒でそこに立ってるだけですが、それだけで安心できる。訪れてきた人に寄り添ってくれる。短歌はその人の人生に寄り添ってくれるものだと思っています」
書肆侃侃房のほかにも、左右社やナナロク社といった出版社が積極的に歌集を手がけている。また、短歌研究社では過去の歌集を再編集した「短歌研究文庫シリーズ」を刊行するなど、短歌に触れる機会は増えている。
前出の國兼編集長は、「歌集は小説などと比べて、流通している作品数がまだまだ少ない。いまみんな読むものを探しているんだと思うんです」と話す。
そして、こう続けた。
「短歌っていいなという空気は着実に広まってきています。そこにきちんと歌集を届けて、歌集を読む層を厚くしていきたい。もちろん売れればいいというわけではないですが、そろそろ『サラダ記念日』に続く、新たなベストセラー歌集が出てくるのではないかと思っています。そのくらい近年、短歌人気は高まっていると感じます」
(本誌・唐澤俊介)
※週刊朝日 2023年5月19日号