『デスモンド・ブルー』ポール・デスモンド
『デスモンド・ブルー』ポール・デスモンド
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 デイブ・ブルーベックの《テイク・ファイブ》を作曲した人物が、ブルーベックではなく、その曲でとろけるようなアルト・サックスを吹いていたポール・デスモンドだということに気づくまでに、かなりの時間がかかった。思い込みとは恐ろしい。ぼくはブルーベックが書いた曲と信じて疑わなかった。このことがわかってから、確実にポール・デスモンドに対する見方が変わった。それまではせいぜい「ブルーベックのカルテットでフンワリとした優しい音でサックスを吹いているだけの人」という認識しかなかったが、そこに「ひょっとしてとても変わった人なのではないか」という妄想が加わり、次に「とんでもない名作曲家かもしれない」という思いが強くなっていった。

 デイブ・ブルーベック・カルテットの『タイム・アウト』に入っている《テイク・ファイブ》という曲は、すぐに口ずさめるような覚えやすいメロディーが人気の秘密だが、その陽光が降りそそぐさまを想起させるメロディーが出てくるまでの展開は、そうとうに変わっている。民俗音楽的というか中近東的というか、あるいは得体の知れない生物体がトグロを巻いているようにも聞こえる。こういう「ヘンな曲」を書く人は絶対に「ヘンな人だ」との思い込みがあるのだが、はたしてポール・デスモンドという人物の実像とはどのようなものだったのだろう。

 しばらくしてポール・デスモンドが作曲をした曲を探すようになった。ところがこれがなかなか見つからない。やがて理解したのだが、デスモンドは量産タイプではなく、忘れたころに思い出したように、しかし息をのむような美しい曲を書く、そういうタイプの作曲家だった。しかもブルーベックのカルテットには、なによりもデイブ・ブルーベックという天才的な作編曲家がいたわけで、デスモンドが曲を提供する機会は限られていた。そう考えると《テイク・ファイブ》は奇跡的な曲だったことがわかる。

 そしてRCA時代がやってくる。60年代中期、デスモンドはブルーベック・カルテットのメンバーとして活躍する一方で、新たにリーダーとしてRCAと契約し、数多くのリーダー・アルバムを発表した。それらのなかには、デスモンドが作曲家として才能を発揮した楽曲が何曲か含まれ、おまけにデスモンドのそれはそれは美しいアルト・サックスもたっぷり聴くことができた。

 この『デスモンド・ブルー』はRCA時代のみならず、デスモンドの生涯を代表する名盤。デスモンドが書いたオリジナルが2曲収録されている。タイトル・ナンバーの《デスモンド・ブルー》と《レイト・ラメント》。とくに《レイト・ラメント》はバラードの傑作で、のちにキース・ジャレットがスタンダーズ・トリオの『枯葉/スティル・ライブ』で取り上げたことによって話題になった。キースはあるインタビューで《レイト・ラメント》の美しさを称え、故郷アレンタウン(ビリー・ジョエルの《アレンタウン》で歌われた町ですね)で売れないジャズ・ピアニストとしてくすぶっていた時代に、地元をツアーで訪れたデスモンドから受けた激励が忘れられないと語っている。

 RCA時代のデスモンド盤の大きな特徴は、ジャズ・ギターの名手、ジム・ホールが共演していること。ジム・ホールの繊細な表現がデスモンドの抒情をさらに豊かなものにし、唯一無二の世界を描き出している。さらに『デスモンド・ブルー』にはストリングスが加わり、ブルーベック時代には聴くことのできなかったデスモンドの新しい一面を楽しむことができる。1曲目の《マイ・ファニー・バレンタイン》から最後の《あなたはしっかり私のもの》まで、これぞデスモンドが編み、綴る物語のひとつの頂点だろう。若き日のキース・ジャレットもこのアルバムを聴いて、さぞやウットリしていたことと思う。[次回2/16(月)更新予定]