『天地真理 プレミアム・ボックス(DVD付)』天地真理 ※76年のリサイタルのライヴ音源が含まれている
この記事の写真をすべて見る
『GOLDEN☆BEST 新・三人娘~天地真理・小柳ルミ子・南沙織~』天地真理、小柳ルミ子、南沙織

 正直に言って、わたしは音楽については硬派のつもりである。
 1972年、わたしが高校1年生の時、クラスメイトの家に行ったら、当時《わたしの彼は左きき》が大ヒットしていた麻丘めぐみのポスターが部屋一面に張り巡らされていた。 部屋一面というのは決して大げさではない。何しろ壁から天井まで、隙間がないほどに、ポスターやチラシやピンナップが貼られていたのだ。特にベッドの上の天井には、等身大か、それ以上の大きさの麻丘めぐみが、ミニスカートをはいて、ベッドの上の彼を見下ろしているのだった。

 その頃のわたしの部屋には、レッド・ツェッペリンやシカゴやサンタナのレコードについていたポスターが貼られていた。加えて、一番悩んで貼ったのは、ビートルズの『ホワイト・アルバム』に入っていたコラージュ風のポスターと4人のメンバーの顔写真だった。画鋲で貼っても四隅に穴が空いてしまうし、セロテープで貼るのも忍びない。4人のメンバーの顔写真は少し厚めの紙だったので、穴を開けないように、画鋲の上に置くようにして貼ったものだ。

 そんなわたしだが、無理にロックのポスターばかりを貼ったわけではなく、自然にやりたいようにやってのことだったのだ。
 いや、それ以上に、女の子のポスターを自分の部屋に貼るなんてことは、想像もしなかった。また、正直、貼りたいとも思わなかったのだ。
 女の子に興味がなかったわけではない。中学時代から、女の子と映画も観に行っていた。ま、そこまでだったが。

 当時、我が家は下宿屋もやっていて、近所の大学生が下宿していたりした。
 わたしの隣の部屋に住んでいた大学生が、シンナーを吸っているのを見たことがあった。母にその話をしたところ、まもなく、下宿屋をやめてしまった。
 下宿していたのは男子大学生ばかりだった。時々、彼らが雑誌を捨てる。それを母親が気づく前に、見つけるのが楽しみだった。「平凡パンチ」やら「週間プレイ・ボーイ」などを見つけ出し、部屋にしまい込むのである。特に、小ぶりな「ポケットパンチOh!」が好きであった。もちろん、一番の目的はグラビアであり、Hな記事だ。

 その頃の我が家の風呂は、薪で沸かしていた。そして、その風呂を沸かすのは、わたしの仕事だった。
 わたしは部屋で一通り読み込んだ雑誌は、風呂で燃やしてしまうことにしていた。母にバレるのがいやだったのだ。持ってはいたいが、持っているのを知られるのもいやだった。
 これらの雑誌とは、風呂釜の前で燃やしてしまう前に、もう一度眺め、お別れをする。
 時々、家族の誰かが様子を見に来たり、覗いたりする気配を感じると、それらの雑誌はゆっくり別れをすることもかなわず、瞬時に、風呂釜の中に投げ込まれた。
 そんなわけで、わたしが女の子に興味がなかったわけではないことは、わかっていただけたと思う。ただ、壁に女の子のポスターを貼ることに抵抗があったのだ。それから、歌手の女の子に対し、仮想恋愛をしなかった、と言うこともあるかも知れない。恋愛は、身近な子とするものだと、その頃から思っていたのかもしれない。

 このクラスメイトの家で、もう一つ発見したことがある。
 麻丘めぐみのたくさんの写真の中に、何枚か《十七才》がヒットしていた南沙織や《水色の恋》の天地真理の写真が貼ってあったことだ。

 わたしは気になって、
「これはなんだ。君は麻丘めぐみが好きなのではないか?」とたずねた。
 彼は、坊主頭をなで回しながら、
「でへへへ、浮気心?」と言って笑った。「いい写真があると、つい、貼っちゃうんだよね」
 こいつとわたしは、いろいろな意味で、生き方が違うな、と思った記憶がある。

 そういえば、それからしばらくして、弟が壁に女の子のポスターを貼った。誰のポスターだったのか、はっきり覚えていない。石立鉄男主演のコメディに連続して出演していた富士真奈美のような気もするし、テレビドラマ『パパと呼ばないで』の杉田かおるのような気もするが、調べてみると年代的に合わないような気もする。あとで弟に確認してみよう。

 そのとき我が家では、こんな会話があったと記憶する。
「しげた(弟の愛称)が、女の子のポスター貼ったね」
 母が言った。
「一実はどう思う?」
「いいんじゃないの」
「おかあさんも、なにも言わないことにした」
 わたしは、母が弟が部屋に女の子のポスターを貼ったことに対し、なんらかの決断をしたことを知った。
 弟に、
「あの子が好きなのか?」とたずねると、
「ああっ」と言った。弟は、わたしより、三歳年下だ。
 我が家の思春期の始まりだった。

 今回、オススメ・ライヴ情報を探していて、「天地真理スクリーンコンサート定期上映会」という催し物があるのを知った。
 1976年4月に東京郵便貯金ホールで開催された天地真理にとっては2回目のリサイタル「私は天地真理」を、このときに撮影された200枚以上の写真と併せて再現しようという企画だ。
 当時、国民的アイドルだった天地真理の最良のライヴの再現と言えるだろう。

 テレビで、アイドルの番組を作ると、その生い立ちから、その番組が作られたときまでの半生を取り上げることが多いが、この企画は、76年4月のライヴの再現にとどめていることがポイントだと思う。

 天地真理のアイドル後の半生を調べてみると、このコンサートの次の年に、病で倒れ、その後、79年に復活するも大ヒットには結びつかず、80年代には、ヌード写真集、日活ロマンポルノなどのアダルトへと路線変更する。90年代には、太った天地真理としてバラエティーに出演し、その後、ダイエット本などで話題を呼んだ。
 その中でも、ファンは、アイドルだった天地真理を、心のどこかで求めているのだと思う。

 人の人生とは長い道のりであるが、あの時の天地真理の写真などを見ると、熱烈なファンではなかったわたしにも、ある種の感慨がわき起こる。
 76年といえば、わたしは、大学一年生だった。
 天地真理は、わたしより5歳年上の1951年生まれ、蠍座だ。
 このスクリーン・コンサートを見たら、あの時のわたしにも会えるような気がするのだが、いかがだろうか?[次回9/3(水)更新予定]

■公演情報はこちら
http://www.amachimari.com/%EF%BD%BD%EF%BD%B8%EF%BE%98%EF%BD%B0%EF%BE%9D-%EF%BD%BA%EF%BE%9D%EF%BD%BB%EF%BD%B0%EF%BE%84/

[AERA最新号はこちら]