『ボサ・ノヴァUSA』ザ・デイヴ・ブルーベック・カルテット
『ボサ・ノヴァUSA』ザ・デイヴ・ブルーベック・カルテット

 デイブ・ブルーベックはジャズの革新者である。といきなり書くと、引いてしまう人が続出するかもしれない。ブルーベックとそのカルテットの柔和で人当たりのいい音楽は、ジャズにつきものの難解さや深刻さと無縁の場所にあるように思われている。たしかにそういう面はあるが、実際にブルーベックが成し遂げたことは十分に「革命」という名に匹敵するものだった。少なくともぼくはブルーベックをマイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンやオーネット・コールマンと等しく「ジャズを変えた10人」のなかの一人として考えているが、残念無念なことになかなか理解してもらえない。

 ブルーベックが成し遂げた最大の革命は「タイム」に関することだった。平たく言えば「リズムの可能性」ということになるだろうか。ジャズ史上最大のヒット曲《テイク・ファイブ》を含む『タイム・アウト』(59年)は、《テイク・ファイブ》だけで語られることが多いが、マイルスの『カインド・オブ・ブルー』やオーネットの『ジャズ来るべきもの』と同じく、1959年という節目の年に吹き込まれた野心的な実験作だった。《テイク・ファイブ》がヒットしたのは偶然の産物にすぎない。そもそも『タイム・アウト』というアルバム自体、「変わりすぎている」という理由で発売中止の瀬戸際に追い込まれていた。ブルーベック自身が2008年のインタビューで語っている。

「レコード会社は関心を示さなかった。ただ一人、当時の社長のゴダード・リーバーソンだけが味方だった。彼は私に言った。『デイブ、私はもう《スターダスト》や《ボディ・アンド・ソウル》のような曲ばかりくり返し聴かされて、ほとほと疲れているんだよ。新しい曲が聴きたいんだ』。無事発売された『タイム・アウト』はジャズ・アルバムとして初の100万枚を売り上げ、シングル・カットされた《テイク・ファイブ》も大ヒットした(付記:当時はシングル盤がジャズ入門の入口として機能した)。

 ブルーベックはその後、『タイム・ファーザー・アウト』(61年)、『カウントダウン:タイム・イン・アウター・スペース』(62年)、『タイム・チェンジズ』(63年)、『タイム・イン』(66年)と通称タイム・シリーズを継続的に発表し、ジャズにおけるリズムやビートの可能性を極限まで追求していく。《時をかける少女》というのがあったけれど、ブルーベックは「時をかけるピアニスト」として、92歳の誕生日の前日まで走りつづけた。

 この『ボサ・ノヴァUSA』は上記タイム・シリーズの進行中に吹き込まれた。アルバム・タイトルに「タイム」の文字はないが、リズムへの挑戦という意味で、明らかにタイム・シリーズを補完するものとして挙げられる。ブルーベックがここで取り上げたリズムは、当時話題を集めつつあったブラジルの新しい音楽、ボサ・ノヴァ。ちなみにジャズの世界では、スタン・ゲッツとチャーリー・バードが共演した『ジャズ・サンバ』が全米ポップ・アルバム・チャートで1位になるなど空前のブームを呼んでいた。

『ボサ・ノヴァUSA』もまたその波に乗ったわけだが、ブルーベックはしかしボサ・ノヴァだけを演奏しようとしたわけではなかった。その意味で、このアルバム・タイトルはやや正確さを欠いている。ブルーベックが対象としたのは「広義のボサ・ノヴァ」であり、ラテンやサンバそしてジャズの定型とされるフォー・ビートまで、あらゆるリズムが俎上にのせられている。しかも安易なカヴァーではなく、新たに新曲を書下ろし、完全にオリジナルな発想に基づく「ブルーベックのボサ・ノヴァ観」がきわめて音楽的に提示されている。ドラムの名手ジョー・モレロが叩き出す何通りもの驚異的なリズムのはるか上空を、天使の羽が生えたかのようなポール・デスモンドが自由に飛び回る。ああ、なんとすばらしい音楽なのだろう。[次回5/19(月)更新予定]