私が暮らす地区の氏神は、慶應大学三田校舎の東門脇にある春日神社だ。その神社の総本社が藤原氏の氏神、奈良の春日大社と知りつつ、私は毎年、初詣に出かける。おそらくは藤原氏の末裔が勧請したのだろう、このような分祀がくり返された結果、春日神社は全国に1000社以上あるらしい。
 神社本庁の「全国神社祭祀祭礼総合調査」によれば、全体で7万9355社ある神社のうち、八幡信仰にかかわるものがもっとも多い。その数、7817社。春日信仰の7倍強だ。ちなみに、2位は伊勢信仰の4425社。これらの数字を比較するだけでも、八幡信仰の圧倒的な広がりがわかる。
 しかし、『古事記』にも『日本書紀』にも登場しない、日本神話とは無縁の八幡神がどうしてこれほどまで信仰を集めてきたのか? 島田裕巳はタイトルどおりの疑問を解明しつつ、天神、稲荷、伊勢、出雲、野などの系統についても解説し、宗教としての神道の特異性も明らかにしていく。
<開祖もいなければ、教典も教義もない。当初は、神社の社殿さえ存在せず、神主という専門的な宗教家もいなかった>
 いわば、あれもこれも「ない宗教」が故にわかりにくく、初詣や七五三やお祓いなどで身近なはずなのに理解しにくい神道。その上、仏教が伝来してから明治になって禁止されるまでつづいた神仏習合の影響もあり、同じ神でも名称が変化してきた歴史もある。たとえば八幡神は弥勒菩薩と合体して、長らく八幡大菩薩と称されていた。
 そしてさらに混乱するのは、八幡神がもともと新羅の神であった可能性が高いという点だ。渡来神ながら宇佐神宮に祀られ、弥勒ばかりか応神天皇とも習合して皇祖神にもなり、武神として武家が崇め、庶民にも広く信仰されてきた不思議。八幡神だけでなく、私たちの身近な神々は謎だらけだ。
 灯台もと暗し。この本は日本の神々の足もとを照らす良きライトとなっている。

週刊朝日 2014年3月28日号

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