中央がメーンで使っているニコンF。生まれ育った下町の風景を撮り続け、その写真を基に繊細なペン画が生み出される。手前右がフィルムの生産量が減少したため購入したという最初のデジタルカメラ、ニコンCOOLPIX S640。左がコンタックスTVS。いずれも小型軽量でポケットに入れて持ち歩けるのが気に入っている。右は昨年購入した一眼レフのニコンD5100
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東京・谷中の仕舞屋。木造家屋をおおう植物や地面に強く当たった光から夏の暑さが伝わってくる。ペン画では右の自転車とホースを消し、涼やかな音と風を感じさせるため、写真にはない風鈴を加えている
書画の掛け軸や屏風、ふすまの表装などをする職人の経師屋(きょうじや)。光と影のコントラストを生かして木目がきれいに写しだされ、家の歴史が伝わっている

――カメラはいつからですか。

 自分の金で初めて買ったのは、オリンパスペン。所帯をもって、子どもが生まれたのがきっかけで、27歳でした。それ以前から仕事でカメラは使っていました。高校を卒業して、写真の修整やデザインをする工房に就職したんです。車、家電製品、重機、建物などの写真を修整したり、エアーブラシで色をつけたりね。

――修整とは具体的にどのようなことをするのですか?

 いちばん単純なのは背景を真っ白に塗りつぶす作業で、メーンは製品の形や色を整えたり……要は、パンフレットの印刷に使える状態にするわけです。ネガつぶしもやりました。いい写真がないときは、自分で撮りに行く。当時、工房にあったのは、4×5の大判カメラ。蛇腹の重たいのをかついでよく出かけたものです。カタログに載せる写真が専門だから、格好いい角度を選んで撮らなきゃいけない。

 でも4年で独立して、最初はプロのカメラマンが撮った写真を修整していたんですが、仕事用のカメラが必要になってきた。「オリンパスペンは、仕事にはちょっと物足りないな」と、ニコンFを買いました。ずっとあこがれていたんですよ。持っている人を見て、「すげぇな、格好いいな」と(笑)。当時の領収書が残っています。昭和40(1965)年、レンズを入れて7万3千円。ホースマンプレス69も買いました。いずれも高価なものですが、当時は仕事が次々と入っていたので現金で買えた。週のうち5日は、徹夜で作業しないと追いつかないほどでした。

 ところが1980年代後半になると、コンピューターの普及で急にエアーブラシの仕事が減ってね。そんなとき根津の自宅の近所を歩いていて、ふと気づいた。古い木造の家が櫛(くし)の歯が欠けるように、少しずつ減っているんです。地上げですね。大きな鉄の塊でグワーンと音を立てて乱暴に解体され、跡形もなくなってしまう。それを見ているとたまらなくなってね。「壊される前に、何とかして残しておきたい」と、ペン画で記録しようと思い立った。平成元(1989)年のことです。それが仕事になるなんて、思いもしなかったですね。

――ペン画の繊細さに驚かされます。

 1枚仕上げるのに2週間くらいかかります。でも、写真から画におこすのは、仕事で慣れてますから。当時はキャビネ判や手札サイズの写真を修整していたから、どうってことない(笑)。資料の写真さえきちんと撮っておけば、後で再現できる。現場でスケッチしていくわけにはいかないから撮影がすむと、「とりあえずキープできた」とホッとする。とはいえ、しょっちゅう歩き回ってないとチャンスを逃す。次に行ったときにはもう空き地になっていたり、建売住宅に変わってしまう。暇さえあれば歩き回り、「これは」と思ったら、すぐ写真に収める。板目がきれいに出た木塀や格子戸が目に入ると、「ああ描きたいな」って思います。

――撮影時に気をつけることは。

 1枚の画を描くのに、写真は何枚も使います。最低3、4回は出かけて行って、時間帯を変えて撮る。晴天と曇り、朝と昼とでは光の当たり具合が違いますからね。その中から気に入ったものを選んで、画の参考にします。建物の構造はいじりませんが、軒先に風鈴を描き足してみたり、植物のつるを形よく整えたり……というアレンジはする。反対に、地面に放置してあるホースや自転車などは描かない。写真をそのまま忠実に写すのではなく、格好よく残しているわけです。カラー撮影した写真を、あえてモノクロで描くのも、そのほうが味わいが増すような気がするからです。

※このインタビューは「アサヒカメラ 2012年8月号」に掲載されたものです

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