著者、ナレーション:長島猛人(ながしま・たけひと)1951年生まれ。早稲田大学大学院東洋哲学科博士課程修了。埼玉県立浦和高等学校から同浦和第一女子高等学校までの教諭時代、約30年間にわたり毎朝、生徒と論語の素読を行う。現在は埼玉県立大宮高等学校教諭。全国漢文教育学会、湯島聖堂斯(し)文会所属。さいたま朝日(朝日新聞日曜版)に「今生きる論語」、さいたま新聞に「今日の熟語」を連載。NHK学園の通信講座「論語80のことば」を担当。著書:『政治を知るなら孟子に学べ!』(明徳出版社)、『使い方がわかる四字熟語辞典』(五曜書房)、『漢詩・漢文なるほどエピソード&ゲーム集(共著)』(明治図書出版)など。ナレーション協力:渡辺恭子(わたなべ・きょうこ)東京都立戸山高等学校主任教諭。2007年よりNHK高校講座「国語総合(漢文)」の講師を務める。
著者、ナレーション:長島猛人(ながしま・たけひと)
1951年生まれ。早稲田大学大学院東洋哲学科博士課程修了。埼玉県立浦和高等学校から同浦和第一女子高等学校までの教諭時代、約30年間にわたり毎朝、生徒と論語の素読を行う。現在は埼玉県立大宮高等学校教諭。全国漢文教育学会、湯島聖堂斯(し)文会所属。さいたま朝日(朝日新聞日曜版)に「今生きる論語」、さいたま新聞に「今日の熟語」を連載。NHK学園の通信講座「論語80のことば」を担当。著書:『政治を知るなら孟子に学べ!』(明徳出版社)、『使い方がわかる四字熟語辞典』(五曜書房)、『漢詩・漢文なるほどエピソード&ゲーム集(共著)』(明治図書出版)など。
ナレーション協力:渡辺恭子(わたなべ・きょうこ)
東京都立戸山高等学校主任教諭。2007年よりNHK高校講座「国語総合(漢文)」の講師を務める。
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『親子で楽しむ こどもの論語 CDつき』
『親子で楽しむ こどもの論語 CDつき』
素読を元気よく楽しむための素読CD。このCDでは、ナレーションの先生が「子曰(いわ)く」と音読すると、続いて子どもたちも一斉に「子曰く」と唱和する。一緒に唱和すれば、まるで寺子屋のように皆で素読する楽しさを味わえる。
素読を元気よく楽しむための素読CD。このCDでは、ナレーションの先生が「子曰(いわ)く」と音読すると、続いて子どもたちも一斉に「子曰く」と唱和する。一緒に唱和すれば、まるで寺子屋のように皆で素読する楽しさを味わえる。

 「手帳は高橋」で知られる高橋書店から、子ども向けの新しい論語本『親子で楽しむ こどもの論語 CDつき』が出版された。主に小学校低・中学年児(6~9歳)とその親が対象になっている。今までの子ども向け論語本と比べ、特徴的なのは「素読(そどく)」を重視しているところだ。素読とは音読の一種で、内容の理解よりもリズムよく声に出して読むこと。

 論語は中国・春秋時代の思想家である孔子が語った言葉を、弟子たちが後に記録したものだ。20編・約500章で構成されているが、はじめから読む必要はなく、どこから読んでもよい。

 この本は、その中から選ばれた25の言葉が、学び・思いやり・求めること・生き方・立派な人の5章に分類され、コラム おまけ論語が五つ、そして親も改めて勉強できる巻末特集:大人のための基礎知識、漢文の読み方 が付く。2ページ(見開き)単位で一つの言葉があり<1>漢字だけで書かれた本来の論語の原文 <2>大きな文字とふりがなで子どもにも読みやすい書き下し文 <3>わかりやすい現代語訳 <4>解説 <5>一言まとめ をやさしいイラストとともに構成し、工夫が凝らされている。

 大胆に見開きで一つの言葉にしたのは、発行元が実用出版社ということもあった。見開き単位でどう見せるか、何ができるかということを追究した結果だ。手帳が「見開き一週間」と同様の発想だったのだ。

■音やリズムの楽しさ

 「素読は国語力が付く前の子どもに効果的です。多少の意味はわかってもすべては理解できない論語を読むことは、脳も刺激します」と言う著者の長島猛人さんに話を聞いた。長島さんは30年以上にわたり、毎朝学校で論語の素読会を行い、生徒に充実感や達成感を与え「知的な自信」を身に付けさせてきた。

 素読とは、意味を考えずに声に出すことだという。意味を考えてしまうと先に進まなかったり、日々継続しなかったりするようだ。そして、強制的にやらなければならない。強制的とは、強引にという意味ではなく、その時間になったらやるということ。それが、子どもが論語を学ぶときのポイントだ。昔の人たちもそうだったように、学問とはものを覚えることから始まるのだ。

 論語はどんな意味だろうと、考えることをいったん止(や)めれば、楽に読めるもの。逆に意味がわからないからおもしろく、音の響きとリズムで、子どもはあっという間に覚えてしまう。歯を磨くように、通学路を覚えるように、小さいころから同じことを続ければ、どんなに難しいことでも身に付く。つまり、習慣で覚えることが良い。わからないから習慣になる。なぜ歯磨きをするのか、ということと同じだ。

 小学校低学年児は、新しい言葉、音に興味を持つ時期。本を読むことも楽しく、街で見かける看板やポスターなども、自分が読める文字だけを声に出して読んだりする特徴がある。論語というものがわからなくても、そのような感覚で文字を読む楽しさ、音やリズムの楽しさから始める。

■大切な贈り物

 論語を身に付ければ、国語の語彙(い)も豊かになり、おのずと品格が備わる礎になる。たとえすぐに理解できなくても、素読していれば、いつか必ずわかるときがやってくる。自分の引き出しの中に入っているそれらの言葉は、ふとしたきっかけで結び付くものだ。

 しかし「論語が役立ったよ!」という言葉を耳にすることはないかもしれない。子どもは、どこで習ったかを忘れてしまうからだ。子どもたちは覚えたことを自分の血肉にしているが、自分の血肉にするときには忘れていた方が良い。忘れている状態で、自分のものとして言うことが大切なのだ。

 「教育」の「教」に関してのマニュアルはいくらでもあるが、言葉は「育」でしか伝えられない。知識と教養とはどう違うか、これらは明らかに異なる。知識は自分でも付けられるが、教養は教養のある人と長い間一緒にいなければ付かない。「霧の中を僧が歩くと知らず知らずに衣が濡れる」。こういうことなのだ。知らないうちに濡れてくること、それが教養だ。時間はかかるが、これが「育」というものだ。

 また、教育には、すぐにわかるものと時間をかけてわかるものがある。たとえば伝統や人間関係などは、時間をかけなければわからないものだ。それが論語にもある。すぐにわからなくても、いずれわかる。それがわかったときの快感は、すぐにわかったときよりも大きいのだ。それに魅せられたら一生忘れることはない。

 論語の言葉は、子どもへの大切な贈り物になるだろう。

高橋書店
http://www.takahashishoten.co.jp/

『sesame』2013年9月号(2013年8月7日発売)より
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=15151