「手帳は高橋」で知られる高橋書店から、子ども向けの新しい論語本『親子で楽しむ こどもの論語 CDつき』が出版された。主に小学校低・中学年児(6~9歳)とその親が対象になっている。今までの子ども向け論語本と比べ、特徴的なのは「素読(そどく)」を重視しているところだ。素読とは音読の一種で、内容の理解よりもリズムよく声に出して読むこと。
論語は中国・春秋時代の思想家である孔子が語った言葉を、弟子たちが後に記録したものだ。20編・約500章で構成されているが、はじめから読む必要はなく、どこから読んでもよい。
この本は、その中から選ばれた25の言葉が、学び・思いやり・求めること・生き方・立派な人の5章に分類され、コラム おまけ論語が五つ、そして親も改めて勉強できる巻末特集:大人のための基礎知識、漢文の読み方 が付く。2ページ(見開き)単位で一つの言葉があり<1>漢字だけで書かれた本来の論語の原文 <2>大きな文字とふりがなで子どもにも読みやすい書き下し文 <3>わかりやすい現代語訳 <4>解説 <5>一言まとめ をやさしいイラストとともに構成し、工夫が凝らされている。
大胆に見開きで一つの言葉にしたのは、発行元が実用出版社ということもあった。見開き単位でどう見せるか、何ができるかということを追究した結果だ。手帳が「見開き一週間」と同様の発想だったのだ。
■音やリズムの楽しさ
「素読は国語力が付く前の子どもに効果的です。多少の意味はわかってもすべては理解できない論語を読むことは、脳も刺激します」と言う著者の長島猛人さんに話を聞いた。長島さんは30年以上にわたり、毎朝学校で論語の素読会を行い、生徒に充実感や達成感を与え「知的な自信」を身に付けさせてきた。
素読とは、意味を考えずに声に出すことだという。意味を考えてしまうと先に進まなかったり、日々継続しなかったりするようだ。そして、強制的にやらなければならない。強制的とは、強引にという意味ではなく、その時間になったらやるということ。それが、子どもが論語を学ぶときのポイントだ。昔の人たちもそうだったように、学問とはものを覚えることから始まるのだ。
論語はどんな意味だろうと、考えることをいったん止(や)めれば、楽に読めるもの。逆に意味がわからないからおもしろく、音の響きとリズムで、子どもはあっという間に覚えてしまう。歯を磨くように、通学路を覚えるように、小さいころから同じことを続ければ、どんなに難しいことでも身に付く。つまり、習慣で覚えることが良い。わからないから習慣になる。なぜ歯磨きをするのか、ということと同じだ。
小学校低学年児は、新しい言葉、音に興味を持つ時期。本を読むことも楽しく、街で見かける看板やポスターなども、自分が読める文字だけを声に出して読んだりする特徴がある。論語というものがわからなくても、そのような感覚で文字を読む楽しさ、音やリズムの楽しさから始める。
■大切な贈り物
論語を身に付ければ、国語の語彙(い)も豊かになり、おのずと品格が備わる礎になる。たとえすぐに理解できなくても、素読していれば、いつか必ずわかるときがやってくる。自分の引き出しの中に入っているそれらの言葉は、ふとしたきっかけで結び付くものだ。
しかし「論語が役立ったよ!」という言葉を耳にすることはないかもしれない。子どもは、どこで習ったかを忘れてしまうからだ。子どもたちは覚えたことを自分の血肉にしているが、自分の血肉にするときには忘れていた方が良い。忘れている状態で、自分のものとして言うことが大切なのだ。
「教育」の「教」に関してのマニュアルはいくらでもあるが、言葉は「育」でしか伝えられない。知識と教養とはどう違うか、これらは明らかに異なる。知識は自分でも付けられるが、教養は教養のある人と長い間一緒にいなければ付かない。「霧の中を僧が歩くと知らず知らずに衣が濡れる」。こういうことなのだ。知らないうちに濡れてくること、それが教養だ。時間はかかるが、これが「育」というものだ。
また、教育には、すぐにわかるものと時間をかけてわかるものがある。たとえば伝統や人間関係などは、時間をかけなければわからないものだ。それが論語にもある。すぐにわからなくても、いずれわかる。それがわかったときの快感は、すぐにわかったときよりも大きいのだ。それに魅せられたら一生忘れることはない。
論語の言葉は、子どもへの大切な贈り物になるだろう。
高橋書店
http://www.takahashishoten.co.jp/
『sesame』2013年9月号(2013年8月7日発売)より
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=15151