『キース・ジャレットの頭のなか』中山康樹
『キース・ジャレットの頭のなか』中山康樹
『Carnegie Hall Concert』キース・ジャレット
『Carnegie Hall Concert』キース・ジャレット

 まもなく『キース・ジャレットの頭のなか』(シンコーミュージック・エンタテイメント)という本が出ます。今回はこの本の裏話というか、執筆の動機について書いてみたいと思う。

 ひとつには、昔からキースが好きだったということがあるが、そのような動機だけで一冊の本を書くことはできない。「好き」ということだけで書ければ、こんなにラクなことはないのですが。そのあたりのことは「あとがき」を読んでいただくとして、最大の動機は、スタンダーズ・トリオの活動にほぼ終止符が打たれようとしていること。昨年発表されたヨーロピアン・カルテットの未発表音源『スリーパー』によって、遂に過去音源が解禁されたと確信したこと(先日発売された『ノー・エンド』はその第2弾でしょう)。そして数年前に聴いたソロ・ピアノのライヴ盤『カーネギー・ホール・コンサート』に対する疑問がなかなか消えず、まずます増幅していたことが挙げられる。最大の動機は、これでしょうか。

 『カーネギー・ホール・コンサート』は2005年9月26日、ニューヨーク、カーネギー・ホールでライヴ・レコーディングされた。キースにしては珍しいアメリカ録音。収録曲は以下の10曲。2枚目の《ザ・グッド・アメリカ》という曲名とそこからあとの5曲の曲目に注目していただきたい。

Disc 1
1. Part I
2. Part II
3. Part III
4. Part IV
5. Part V

Disc 2
1. Part VI
2. Part VII
3. Part VIII
4. Part IX
5. Part X
6. The Good America
7. Paint My Heart Red
8. My Song
9. True Blues
10. Time On My Hands

 そして問題は2枚目の6曲目以降の、「演奏ではなく」観客の歓声と拍手そしてキースと観客とのやりとりにある。これがじつに長い。明らかに長すぎる。アルバム化に際しては、ここは絶対にカットすべきパートでしょう、ふつう。しかしキースは、この「無駄に長いだけの歓声と拍手」をあえてノーカットで収録した。ECMのプロデューサー、マンフレート・アイヒャーも容認した。それはなぜかということ、そしてそれを解くことが今回の本の執筆動機になったわけです。

 ぼくが辿り着いた結論は、それがキースにとっての「達成」の証であり象徴だということでした。キースは、この瞬間のために、アメリカという国で、しかしアメリカのレコード会社と距離を置き、ピアノを弾いてきた。その「こだわり」が解き放たれたときが、このカーネギー・ホールの夜だったのではないか。だから、異常に長いことはわかってはいるけれど、カットしたくなかった。

 それではキースはなぜアメリカとあえて距離を取り、自国でレコードが発売される可能性のないドイツのレコード会社(ECM)と専属的な契約をしたのか。ここからあとはぜひ拙著を読んでいただきたいところですが、急いでつけ加えれば、ECMはいまでこそ「世界のレーベル」、しかしながらキースが本格的に録音を開始した時代は、配給網をもたないマイナー・レーベルだったのです。キースはその、いつ潰れてもおかしくないレーベルを選んだのです。ご一読ください。[次回12月24日(火)更新予定]