というのも、クリミア併合(2014年)でロシアはかなりの経済的負担を強いられることになりました。西側からの経済制裁に苦しむ中、クリミア半島が事実上自国の領土になったことでインフラを一から作り直し、さらに教育や社会保障制度も整備しなければならなくなった。プーチン大統領にとって長年の課題であるシベリア極東対策の予算を削ってまで、クリミアに相当のコストを投じたと言われています。
さらに東部2州も自国の領土に編入することになれば、ロシアはクリミアと同様の対応をしなければならなくなる。それはあまりにもコストがかかりすぎる。経済状況が決していいとは言えない中、お金をかけずにウクライナを揺さぶるには、ミンスク合意を履行させ、未承認国家の2州に高い自治権を持たせた上で、ウクライナのNATO加盟を外側から阻んでいく方がおそらくメリットが大きいだろう。それが「侵攻はない」と私が確信していた理由の一番大きなものでした。
――予想に反し、ウクライナ侵攻は起きました。背景、理由をどう分析しますか?
まず驚いたのが、2月21日にロシアがドネツクとルガンスクを国家承認したことです。なぜ承認したのか? その時は、一言で言うならば「積もりに積もった怒りに任せて」。そんな感情的な理由だったのではないか、と私は考えました。結局は、24日からの侵攻の序曲だったわけですが。
しかし、プーチン大統領が怒りを募らせていたのは事実です。その怒りの一つが、2008年2月のコソボの独立宣言とそれに対する多くの国々の国家承認でした。かつてはユーゴスラビアのセルビアに属する自治州の一つだったコソボが、日本を含む欧米社会に承認され独立したわけですが、そもそも冷戦後の世界秩序を考える上では、旧共産圏などの連邦が解体した場合には、連邦を構成していた共和国の境界線を維持することが「約束」だった。それをある意味反故にしたコソボの独立は、ロシアや中国にとって許し難いルール違反だったはずです。