――中学高校時代は。
実はそこで化学や物理も好きになった。実験器具を買ってもらって実験していました。二酸化マンガンにオキシドールをかけてブクブク酸素を出すとか、そういうのが好きだったのよね。それでちょっと興味がぐらついた。
そして高校紛争がありました。我々は2年生で、直接やったのは3年生なんだけど、バリケードで封鎖されたりしたから結構大変だった。だいぶ影響されて、全然勉強する気がなくて、同級生のほとんどが浪人、私も1浪。
――入学されたのは東大の理II(農学部・理学部進学コース)ですね。
今と違って研究室紹介もなくて、何ができるか全然わからないのに入ったんですよ。3年に進学にするときの進学振り分けで、生物学科を選ぼうとしたら、私が好きな丸ごとの生物をやっているところがなかった。農学部の害虫だったらできるかもしれないと言われて、でも誰かが自然人類学教室に行ったらおサルならできるよって言ったんです。別にサルが好きだったわけでも、人類に興味があったわけでもないんだけど、人類に行くしかなかった。
――そうだったんですか!
今はオープンキャンパスとか、研究室紹介とかもいっぱいあって、情報が溢れてるじゃない? 行動生態学をできる大学はどこかとか、調べて受験するでしょ。あのころは何もなかった。
――人類学に進んで、どうでしたか?
自然人類学教室は東大と京都大学の二つにしかないんです。卒業生の大半は、いわゆる基礎医学の解剖学に行くか、博物館に行くか。私はどちらもやりたくなくて、本当にナマの生き物の行動と生態をやりたかった。それで、3年生の夏休みに将来の夫となる長谷川寿一と一緒に千葉県の高宕山の野生ニホンザルの調査に出かけました。
>>【後編:「夫を置いていくのか」指導教員に大反対されても留学を強行 得たものは? 総研大・長谷川真理子学長】に続く
長谷川真理子/東京生まれ、東京大学理学部卒、理学博士(東京大学)。専修大学法学部助教授、教授、早稲田大学政治経済学部教授を経て総合研究大学院大学教授、副学長、学長。主な著書に『進化とはなんだろうか』(岩波ジュニア新書)、『進化と人間行動』(長谷川寿一との共著、東京大学出版会)、『進化生物学への道』(岩波書店)、『私が進化生物学者になった理由』(岩波現代文庫)など。