検察は、「補助金の支給や定員削減に関する要望であり、久保被告は小判が賄賂であることを理解していた」と指摘。結果的には中西元理事長が望んだ定員削減などが実現することはなかったが、久保被告以外の市幹部への供与・供応などもあったとし、監査日までの日程変更など「様々な問題で中西元理事長の要望が受け入れられてきた」と強調した。
「2022年1月、保育園や久保被告の自宅に強制捜査が入った際の任意の事情聴取でも、久保被告は長い間、中西元理事長から接待を受け、数万円の現金や手土産を渡されていた。あまりに回数が多くて、何をもらったのかよく覚えていないほどまひしていた」
と捜査関係者が打ち明ける。
中西元理事長と久保被告をよく知る京都の社会福祉法人の関係者は、
「中西元理事長は、京都では有名な保育園経営者です。東日本大震災では、被災地に鉛筆を贈る活動を広めようとマスコミにもよく出ていました。政治も好きで、京都の国会議員を応援し、パーティーなどにもよくいっていましたね」
と話す。2人の関係性などについては、
「保育行政の担当が長い久保被告は、中西元理事長とはなあなあの関係に見えました。押しの強い中西元理事長から言われて、軽い気持ちで受け取ったのではないでしょうか」。
しかし、贈収賄事件ではよく聞く現金や時計といった“贈り物”はわかるが、なぜ小判になったのだろうか?
前出の捜査関係者は、
「捜査段階で中西元理事長は『食事もして、現金、時計も贈ったけど、補助金など要望通りにうまくいかず、最後に思いついたのが小判だった』と供述していた」
と話す。
前出の社会福祉法人幹部は、
「監査は私たちも気になるけど、もちろん日程なんて絶対に教えてもらえないです。それを事前にわかっただけでも、小判の効果はあったのではないでしょうか」。
江戸時代も令和時代も役人に“効く”のは小判?
(AERA dot.編集部 今西憲之)