哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。
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英語の民間試験に続いて、今度は国語と数学の記述式問題も来年度の大学入学共通テストへの導入延期が決まった。受験生50万人が受ける試験の採点を外部にアウトソースする場合に、どうやって採点の公平性を担保するのかというのは受験生にとって最も切実な問いである。それに文部科学省はついに説得力のある答えを示すことができなかった。精密な制度設計を怠り、「改革」を自己目的化して暴走した歴代文科相の罪は重い。
私も在職中には記述式の採点に何度もかかわった。採点者はまず答案を通読して「よくある解答例」をリスト化し、配点を決める。全員が同室で採点し、採点のむずかしい答案があると、全員で相談して点を決める。それを二度繰り返して、「あたかも一人の採点者が全答案を採点した」ようなかたちに近づけようと努力したのである。
学生アルバイトを含む1万人もの採点者で手分けして採点するというような話は、一度でも入試に携わったことのある人なら「ありえない」と絶句するはずである。それでは入試のノウハウを知らない人たちが机上で起案した空論だと言われても仕方があるまい。
なぜ政府はこんな愚策に固執したのか。受験生たちにより良い受験環境を整備するためでなかったことは確かだ(現に4万人を超える高校生たちが制度導入に反対する署名を行った)。むろん教員たちの負荷を軽減するためでもない。では、いったい何がしたかったのか。
こんなことを言う人は少ないが、理由の一つは「入試は大学教員の専管事項ではなく、誰にでもできる」ということを主張したかったからだと思う。
今の政府は大学に限らず教員たちの社会的地位を引き下げ、そのプライドを傷つけることについては実に熱心である。「実学だけ教えろ」とか「実務家を教員に登用しろ」とかいった主張はもっぱらアカデミアの知的威信を損なうことをめざしている。それによって大学の学術的発信力がV字回復し、学生たちの知的成熟が促進されると信じている人は政府部内にもいないだろう。彼らはどんな有害無益な政策にも従順に従う「イエスマン国民」が欲しいだけなのだ。
※AERA 2019年12月30日号-2020年1月6日合併号