政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。
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教諭4人が同僚に暴力や嫌がらせを繰り返す──。神戸市須磨区の東須磨小学校で、教員間暴力という一見すると信じがたい事件が起きました。事件の異常性、幼稚さ。一方でそれが教育現場で起きているということに、多くの人が驚きを隠せませんでした。
現在も調査中でこの事件の全容はまだわかりませんが、報道されている情報を見ていると、思い出されるのは野間宏の戦後文学の金字塔的作品『真空地帯』です。『真空地帯』は、軍曹以下一兵卒たちが一緒に生活を共にする「内務班」を舞台にした小説です。この内務班のなかで、古参兵が一兵士をいたぶり、しごき、リンチまがいなことをする、いわゆる「かわいがり」のシーンがあります。『真空地帯』は半世紀以上前の文学ですが、どうも今回の小学校での事件を見ていると、一連の暴力や被害者の教師のプライバシーを全部奪い取るような所業が、この古参兵と一兵士に重なります。
統制管理型の文部行政の最先端に位置している現在の学校は、人事採用、人脈、派閥、上下関係、こういう様々な問題が凝縮されています。学校の職員会議で一体みんな何を話していたのか。そこは自由な言論空間でなかったのか。学校の中で抑圧移譲が行われていたとしたら、まさに『真空地帯』の内務班そのものです。
今後、閉鎖的な学校をオープンにするために民間出身の管理職を入れようという議論が起こるかもしれません。しかし、学校は株式会社とは違い、ガバナンスでは仕切れない場所です。今の民営自由化の流れでCEO型の管理職を増やしていくと、皮肉なことに学校はもっと管理強化に向かう可能性があります。
加害者を叩くことやCEO型の管理職を増やすことだけでは問題は解決しないでしょう。求められているのは、いかにしてきめ細かく、チェック&バランスと見える化を図るか。たとえば人事採用ならどういう理由でこの人を採用したのか。その理由について可能な限り第三者に可視化できるようにしていく。今後は生徒の保護者も含め、こういうようなチェック&バランスで可視化を進めていくしかないと思っています。
※AERA 2019年10月28日号