宗教家はどうみるのか。浄土真宗本願寺派の研究機関、宗学院(京都府)の西塔公崇研究員(45)=富山県・金乗坊副住職=はこう話す。
「仏教の世界で言う『苦しみ』とは、自分の思い通りにならないときに抱く苦しい感情のことです。まさに、前出の大学生やレッドカーペットイベントの女性が抱いた精神的な苦しみが、当てはまるでしょう」
なぜそのような苦しみを感じるのか。
「自分中心の心があるからだと思います。自分にとって好ましいことばかりを追い求め、都合の悪いものに対しては拒絶するだけでなく、時には腹を立てます。そうすると、自分の都合でしか物事を見ていないから、結果的に物事の本当の姿が見えなくなるという事態を招いてしまいます」
また、宗教家の立場からこうも指摘する。
「宗教には、ある超越的な存在と出会うことによって自己の有限性を知り、自己を相対化させる機能があります。ところが、宗教が弱体化している現代において、人間は自己絶対化の度合いを増します。さらに、テクノロジーの進化でこれまで制御できなかったものを人間が制御し始めると、人間の絶対化は進みます」
技術の進歩で得た万能感が「自分中心の心」を生み、かえって人間を苦しめているのだ。
●怒りにまかせた言葉の暴力、同僚は職場を追われた
東京都に住む専業主婦の女性(32)も、西塔さんが指摘する「物事の本質が見えなくなってしまった」一人かもしれない。自分の思い通りにいかないことから、過剰に人間関係を閉ざした状態が続いている。
女性は、街コンで知り合った夫と4年前に結婚した。夫は清潔そうな印象で、最初から好感を持てた。20代で結婚し、多くの人から祝福を受けた。
結婚から半年ほどたって、1通のLINEが入った。それほど仲が良かったわけではないが、高校時代に吹奏楽部で一緒だった同級生からの久しぶりの連絡だった。
「今度、結婚することになりました。式に来てもらえますか?」
こんな趣旨の連絡だった。別の同級生にも同じように式への案内が来ていて、「私1人では行けない」と言われたため、仕方なく参列した。新婦との交流の再開はその後、何年も心をかき乱され続けるきっかけとなった。