哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。
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前から「東アジア共同体」を提唱している。
日韓連携を中核として、台湾、香港を結ぶ「合従」を以て、米中2大国の「連衡」戦略に対応するというアイデアである。荒唐無稽な話だが、利点はこのエリアに居住している人々のほぼ全員が「合従連衡」という言葉を知っているということである。
戦国時代に燕趙韓魏斉楚の六国同盟によって大国秦に対抗することを説いた蘇秦の説が「合従」。6国を分断して、個別に秦との軍事同盟を結ばせようとしたのが張儀の説いた「連衡」である。歴史が教えてくれるのは、より「現実的」と思えた連衡策を取った国々はすべて秦に滅ぼされたという結末である。
東アジアでは、中学生でもこの話を知っている。だから、誰でもが「米中2大国のいずれかと同盟する」という解の他に「同じ難問に直面している国同士で同盟する」という解が理論上は存在することを知っている。「ほら、あれ、『合従』ですよ」と言えば話が通じる。別に国際関係論上の新説を頭から説明しなくて済む。
日韓に台湾・香港を足すと、人口2億1千万人、GDP7兆2500億ドルの巨大な経済圏ができ上がる。何よりこの4政体は民主主義という同一の統治理念を共有している。とりわけ日韓は家族形態が同型的である。エマニュエル・トッドによれば、家族形態が同型的であれば、めざす国家体制も同型的になる。「このメカニズムは自動的にはたらき、論理以前のところで機能する」(『世界の多様性』)
興味深いことに、中国でも、秦だけが共同体家族制で、東方の6国は直系家族制だった。つまり、「合従連衡」は単なる政治単位の数合わせゲームではなく、無意識のうちに、志向する国家形態の違いを映し出していたのである。
明治時代には樽井藤吉の『大東合邦論』というスケールの大きな合従構想があった。いま中国の「秦化」に向き合う東アジア諸国は改めて「21世紀の合従論」を語ってもよいのではあるまいか。日韓の断絶がそれを不可能にしているのだが、私は嫌韓言説は「無意識的な連衡論」ではないかとひそかに疑っている。
※AERA 2019年10月7日号