経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。
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世の中、いろんなエコノミーがある。ギグ・エコノミー、プラットフォーム・エコノミー、シェアリング・エコノミー、オンデマンド・エコノミー。最後のタイプを除けば、いずれも、本欄で以前に取り上げている。
ギグ・エコノミーを筆者的にいえば、「お座敷芸人経済」だ。要は、フリーランスの形で職場から職場へと渡り歩く人々の世界だ。リーマン・ショックからこっち、定職の減少でこの仕事スタイルが増えた。
プラットフォーム・エコノミーは、「屋台経済」だ。人々は、巨大IT企業たちが提供するネット上の屋台に自分たちの商品を陳列する。屋台提供者に、どこまで、自分たちが陳列する商品の品質を管理させるかが問題となっている。シェアリング・エコノミーを分かち合い経済といってしまうと、ちょっとイメージが良くなりすぎる。「貸し借り経済」にしておこう。オンデマンド・エコノミーは、「必要な時だけ経済」。
これらのいろんなエコノミーは、重なり合う円だ。お座敷芸人は、プラットフォーマーたちの屋台に自分の技を載せてもらう。屋台デビューを果たすと、お座敷芸人は「スキルシェア」の世界に足を踏み入れることになる。そこでは、人々がお互いの技を必要な時だけ拝借し合う。
いろんなエコノミーの円が全て重なり合う場所は、どんな場所か。良い場所か。悪い場所か。素敵な場所か。怖い場所か。
下手をすれば、そこはとっても悪くてとっても怖い場所になりそうだ。屋台に陳列してもらった自分の技は、とことん買いたたかれる。声がかかったお座敷で、どんなに過酷なパフォーマンス環境が待ち受けていても、文句は言えない。必要な時だけ経済は、言い換えれば使い捨て経済だ。いくら心血を注いで見事な芸を披露しても、しょせんはその場限りのワンナイトスタンド。
こんなふうにはならず、いろんなエコノミーの重複エリアが良き場所となるには、もう一つのエコノミーが必要だ。筆者は、それを「ケアリング・エコノミー」と名づけたい。「思いやり経済」だ。思いやり経済の円が他のエコノミーの円を全て包摂する時、そこには本当に素敵なナイス・エコノミーが出現する。
※AERA 2019年7月8日号