哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。
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日本がこれからどうなるかを考える場合には、人口減少と高齢化が基本的な与件になる。数字を示すと、目を丸くして驚く人が多い。
総務省の予測では、2100年の日本の人口は高位推計6400万人、中位推計4770万人、低位推計3770万人。中位でもこれから80年で人口が8千万人減る勘定である。その時点での高齢化率は40パーセント。それがどのような気分の社会なのか、予測がつかない。
中央年齢(それより上の世代と下の世代の人口が同数になる年齢)は高齢化の一つの指標だが、日本は45・9歳で世界1位である。他にはどんな高齢国があるのか気になって調べてみたら驚くべき結果が出た。
2位ドイツ、3位イタリア、4位ブルガリア、5位ギリシャ、6位オーストリア、7位クロアチア、8位スロベニア、9位フィンランド、10位ポルトガル。なんと、1位から9位までが第2次世界大戦の「敗戦国」あるいはその占領地域で占められていたのである(ポルトガルのみは中立国だったが、サラザール独裁のファシスト国家だった)。
第2次世界大戦の敗戦国では、戦後のある時期から後、国民が子どもを産まなくなったらしい。この現象に何か名前がついているのかどうか、私は知らない。
フランスの社会学者、デュルケームの『自殺論』によれば、「自分はやるべきことを日々果たしており、それを周囲に承認されている」という実感があると人はなかなか自殺しないそうである。自己肯定感の多寡と自殺率の間には相関がある。
子どもが生まれない国とは、きつい言い方をすれば「国民規模で緩慢な自殺をしている国」である。それはおそらく国民の自己肯定感と関係があるだろう。そういえば先年の調査で日本の若者の自己肯定感は調査7カ国で最低だった。
この自己肯定感の低さはもしかすると敗戦経験のトラウマ化と関係があるのかもしれない。現に、高齢化上位国においては歴史修正主義が猖獗をきわめている。それが何とかして国民的規模で自己肯定感を回復しようとしての「悪あがき」なのだとしたら、その気持ちはわからないでもない。
※AERA 2019年7月8日号